本稿の要約を10秒で
- まったく新しい何かを生み出すことだけがイノベーションではなく、既存の技術、製品の画期的な活用法を想起することもイノベーションといえる。
- イノベーションを社内の文化として定着させるには、現場組織の自律性とダイバーシティの確保がカギを握る。
- アトラシアンでは全社で定期的に、ないしはアドホックに行う「イベント(儀式)」を通じてイノベーションにつながる創造的な思考(クリエイティブシンキング)を実践している。
新発明だけがイノベーションにあらず
米国で人気を博しているイノベーティブな衣料品の一つに、Snuggie社の袖付き毛布「スナッギー」がある。言うまでもなく、Snuggie社は毛布を発明したわけでもなければ、人が暖をとるために毛布が有効であることを世界で最初に発見した企業でもない。それでも、同社のスナッギーが画期的とされているのは、毛布を背中に巻き付けるものから、身体の前側に巻き付けるものへと変化させ、かつ、毛布に袖を付けて両手を自由に使えるようにしたことにある。言い換えれば、毛布の使い方に大きな変化をもたらしたことが、スナッギーのイノベーションであるわけだ。
このように、イノベーションは、必ずしも新発明だけを指すものではない。スナッギーの例のように既存の技術や製品と人との関係に変革をもたらすこともイノベーションである。また、イノベーションは必ずしも人の目に触れるものとして現出するとは限らず、画期的なアイデアをより早くかたちにする新たなプロセスを生み出すこともイノベーションといえる。
いずれにせよイノベーションで重要な点は、想起したアイデアが「独創的であるかどうか」と「有用であるかどうか」だ。例えば、自分のアイデアの実現がイノベーションにつながるかどうかを判断したいのであれば、「そのアイデアは本当に独創的なのか」「自分のチームや会社、あるいは顧客の問題を解決しうるものなのか」「それを追求することは、一定のリスクを伴うのか」といった点を自問してみると良い。その答えがすべて「Yes(はい)」であれば、あなたの試みは革新的といえる。
ちなみに、アトラシアンでは20年以上の長きにわたり、以下に示す5つの事項を日々のオペレーションに組み込みながら、イノベーションを生む組織文化(以下、イノベーション文化と呼ぶ)を築き上げてきた。
- イノベーションに戦略的視点を与える「ゴールとミッションの明確化」
- 物事に対して異なる視点・見解を持った誰もが問題解決に均しくかかわれる「ダイバーシティ&インクルージョンの確保」
- 何がすでに試され、何を優先すべきかを明確にする「自由でオープンな情報交換」
- 問題空間を徹底的に探索し、自分たちの考える方法で問題が解決できる「チーム・社員の自律性の確保」
- 本業を疎かにすることなくクリエイティブな思考に没頭できる「適度なイノベーション専用時間の設定」
今回は、これらの事項をアトラシアンがどのように実践してきたかを紹介し、読者の皆さんが自分のチームや会社でイノベーション文化を築くうえでの参考にしていただきたいと考えている。
イノベーション文化とはいかなるものか
アトラシアンには、イノベーションは一部の社員が主導するものではなく、入社したてのインターンからCEOに至るまで、すべての社員が担うべき仕事であるという信念がある。
この考え方は、イノベーションは「孤高の天才」によって引き起こされるという発想とは根本的に異なるものだ。
実際、イノベーティブなアイデアは社員の誰にでも想起できる可能性がある。また、一人の着想からイノベーションが引きこされるよりも、物事を異なる視点でとらえる複数人のアイデアの融合がイノベーションにつながることのほうがはるかに多く、社内のあらゆるところに耳を傾けなければならない。ゆえに、一握りの社員で構成されたイノベーション専門の組織を設置した瞬間に、社内でのイノベーションは起こりにくくなる。というのも、イノベーション専門の組織が創設された瞬間に、その組織に選ばれていない大多数の社員が、新しいアイデアを想起してイノベーションを引き起こす困難な任務から解放され、イノベーションは“自分事”から“他人事”へ変容してしまうからである。その結果として、大多数の社員は、イノベーションへの関心も、意欲も失っていくことになる。
イノベーション文化とは、経営陣がオープンドアポリシーを採用し、現場で働くチームのアイデアや意見をいつでも尊重して受け入れる用意があることも意味している。またそれは、各チームが温めてきたアイデアを実験したり、追求したりするための専用の時間が確保できることや、社員たちがチームを跨いで互いにアイデアを出し合い、共有できるオープンなフォーラムをいつでもアドホックに立ち上げられることでもある。
さらに、イノベーションの実現には、会社で働く各人がそれぞれの創造性をいかんなく発揮できる職場環境も必要とされる。そうした職場環境は「組織・チームを横断したコラボレーション」や「進行中の仕事に関するオープンな共有」「的外れの質問」「計算済みのリスクの引き受け」「失敗のオープンな共有と失敗からの学び」などを、精神的な重圧を感じることなく、自由に行えるようでなければならない。
言うまでもなく、イノベーション文化の醸成は、社員たちに楽しく交流できるレクリエーションの場や機会を提供する取り組みとは異なる。ましてや、トップダウンで長時間労働を強要したうえで「夜8時過ぎまで働き続ければ、何らかのひらめきが生まれる」といった間違った期待を社員たちに持たせることでは絶対にない。最高のアイデアは、心身がともにリラックスした状態(=ウェルビーイングな状態)なときに生まれるものだ。言い換えれば、イノベーティブな発想には、オフィス以外の場所で生活をし、世界を探検し、恋をし、失恋し、遊び、つまずき、立ち直り、ただ生きるためのスペースが必要といえるのである。
上述したことを踏まえつつ、ここからは、アトラシアンがイノベーション文化の構築・維持のために、先に触れた5つの事項をオペレーションモデルの中にどう取り込んでいるかについてより詳しく紹介することにしたい。
1. ゴールとミッションの明確化
人は危機的な状況に直面すると自身の「クリエイティブシンキング」の能力を最大限に引き出そうとする。例えば、2010年にチリで起きた鉱山の崩落事故を思い起こしていただきたい。このとき、地下に閉じ込められた33名の労働者を救出すべく、鉱山会社をはじめ、チリ政府、チリ海軍、各国の地質調査機関、さらにはNASAに至るまで、多岐にわたる組織の専門家たちが実質1日で集結した。そして彼らは2カ月間以上、24時間体制で知恵とアイデアを振り絞り、労働者33名全員を救出することに成功したのである。
この成功の背景には、労働者全員を救い出すという明確なゴールとミッションがあり、それがあったからこそ、異なる分野の専門家たちが一致協力しながら、自由な発想で新しい解決策を見出すことができたといえる。
これと同様の原理は、企業内の組織にも当てはまる。ゆえに、アトラシアンでは「OKR(Objectives and Key Results)」という業績評価のフレームワークを使い、会社レベルからチームレベルまでカスケード(多段の滝)型で目標を設定し、共有している。これにより、全社員のクリエイティブシンキングにガードレールを設け、社員全員が追求しているものが会社の戦略的な大目標に沿うようにしているのである。
このOKRを使った組織の運用を続けることで、組織内のチームは「働き方」や「顧客とのかかわり方」「製品/サービスの強化」など、さまざまなテーマに沿った小さな改善を繰り返しながら、戦略的なイノベーションを推進するための「筋力」を強化していくことが可能になる。アトラシアンでは、こうした鍛錬の中で、中長期的な課題への解決策が現場からさまざまに生み出されるのを目の当たりにしてきた。加えて、チームに権限を与え、職場環境や製品/サービスを改善させることで、イノベーションに対する当事者意識と責任感を定着させることも可能になる。
2. ダイバーシティ&インクルージョンの確保
チームを率いるリーダーであれば、誰もがチームのメンバーと強いつながりを持ちたいと望むはずだ。ただし、チーム内の「同調」が過度になると、イノベーションが生まれにくくなるおそれがある。実際、アトラシアンが最近行った「State of Teams」調査(英語)でも、チームのリーダーとメンバーが過度に同調しているチームはイノベーティブなアイデアを生み出す可能性が9%低いことが判明している。この点に関して、アトラシアンのシニア クオンティタティブ リサーチャーであるマリーン・カーン(Mahreen Khan)博士は次のように述べている。
「結束力が過度に強いチームのメンバーは、チームの結束力を損なうおそれのあるアイデアを口にするのを避けようとしがちになります。言い換えれば、他のメンバーとの摩擦を起こしたくないがために、建設的な意見の対立を避けようとするわけです。また、結束力が過度に強いチームの会議では、他のメンバーから出されたアイデアを無条件で、すぐに受け入れてしまう可能性があります。これは、最も効果的なアイデアや独創的なアイデアを見つけるためのブレーンストーミングとは対照を成すものです」
もちろん、メンバー同士が常にいがみ合っているようなチームでも困る。要は、個人的なつながりとコグニティブダイバーシティ(認知的多様性=物事の見方や考え方の多様性)のバランスをとる必要があるというわけだ。
アトラシアンは、そのバランスを確保する目的のもと、コーポレートバリュー(下図参照)に一致するかどうかを人材採用の基準にしてきた。
企業は伝統的に自社の組織文化にフィットするかどうかを人材採用の基準にしてきた。ただし、この採用基準には「自分たちと同じ興味、関心、考え方、見方、文化的背景を持つ人」を優先的に選んでしまい、結果的にダイバーシティとは真逆の「人材の同質性」を生み出すというネックがある。
ところが、近年の研究により、ダイバーシティ(=主として性別・国籍・年齢・宗教といった人口統計学的多様性)が確保されたチームは、より創造的な解決策を生み出し、より大きな成果を生み出す傾向があることが分かっている。これは、人口統計学的多様性が結果的に認知的多様性へとつながった結果であると専門家は分析している。
ゆえに、イノベーション文化を醸成するうえでは、企業内の各チームにさまざまなアイデンティティや人生経験、スキルを持つ人を集めることが不可欠となる。そのうえで、全社員が仕事やコラボレーションに関する価値観を共有することで、見た目や考え方が違っても、お互いを尊重し合える関係になるのである。
個々人の違いを受け入れ、尊重し合うことは、職場における心理的安全性の確保にもつながる。
ご承知のとおり、心理的安全性が確保された職場では、すべての社員が他者からの攻撃や軽蔑をおそれることなく「突飛なアイデア」を出し、「馬鹿げた質問」をし、「大勢の意見とは異なる(建設的で他者への敬愛に溢れた)意見」を述べ、さらには「仕事上の失敗」もオープンにすることができる。その逆に、社員の失敗を罰したり、想像力を膨らませることを嘲笑したりするような企業では、イノベーション文化は開花する前に破壊されることになる。
「優秀な人材は、必ずしも同じように考えるとは限りません」
── ドム・プライス