アトラシアンには、働き方改革のエキスパートが多くいる。その一人が、ワーク フューチャリストのドム・プライス(Dom Price)だ。彼は企業組織のリーダーに向けて、変革のためのメッセージをコラム形式で発信し続けている。この連載では、そのエッセンスをお伝えしていく。

10秒でチェック!本稿の要約

  • 人の創造性にスポットライトが当てられている今日、「生産性」はナレッジワーカーのパフォーマンスを測る指標として機能しなくなっている。
  • ナレッジワーカーのパフォーマンスを、時間に対するアウトプットだけで計測し続けていると、アウトプットの品質と効果が低下してしまうおそれが強まる。
  • ナレッジワーカーのパフォーマンスは、顧客にどれだけのメリットをもたらしているか、そして自分自身がどれだけ健康で幸福かによって計測されるべきである。

生産性の矛盾

生産性は、一定の時間内にいくつの“モノ”を生産したかを測る指標だ。この指標の問題点は、ナレッジワークによるアウトプットの数量と品質が、多くの場合、負の相関関係にあることである。

ベストセラー作家のダニエル・ピンク氏はこう話してくれた。
「1冊の良作を書く時間があれば、2冊の凡作が書ける」

生産性を指標にすると、同じ時間内に2冊の凡作を書くパフォーマンスは、1冊の良作を書くパフォーマンスよりも2倍も良いことになる。ただし、凡作はいくつ書いても売れることはなく、凡作2冊を合計した売上げが良作1冊の売上げを上回ることはまずない。

にもかかわらず、私たちは生産性を上げることに執着し続けている。実際、「生産性」をキーワードにWeb検索をかけてみていただきたい。おそらく「リモートワークで生産性を上げるコツ」「組織の生産性を高める極意をつかむ」といった類(たぐい)のコンテンツが無数に見つかるはずである。

なぜ生産性にとらわれてしまったのか

生産性の考え方が生まれたのは、いまからおよそ250年前の産業革命時代のことだ。この時代、製造業や農業に機械化の波が押し寄せ、工場・農場における1日当たりの生産量が飛躍的に拡大した。その産業革命の流れが長く続いたことで、人はいつしか生産性という指標に執着するようになり、あらゆる産業にこの指標が定着することになった。

もちろん機械化自体は悪いことではない。農業機械の進歩によって、より少ない労働力でより多くの人間を養うための食物を生産できるようになった。また、鉱業や木材の伐出業が発展し、原材料の製造に拍車がかかった。工場における機械化も同様であり、それによって多くの人間が長時間の過酷な労働から救われてきた。そして製造産業や農産業の1日当たりの生産量は、経済のパフォーマンスを示す重要な指標であり続けている。

画像: この写真の人物をご存じだろうか。彼は、工場の効率化に多大な貢献をした米国の産業機械エンジニア、フレッド・テイラーである。彼は生涯を生産性の向上に費やした。

この写真の人物をご存じだろうか。彼は、工場の効率化に多大な貢献をした米国の産業機械エンジニア、フレッド・テイラーである。彼は生涯を生産性の向上に費やした。

産業革命による製造産業や農産業の機械化が進んだことで、労働者の多くがナレッジワーク(オフィスワークや教育、ヘルスケア、など)に従事するようになった。それでも、社会における生産性への執着が薄れることはなく、生産性以外の指標で労働のパフォーマンスを計測することは「不正」なこと、あるいは「ごまかし」のように思われてきた。これはある種の「科学崇拝」であり、数学的に算定された生産性だけが私たちに確かなデータを与え、それ以外の指標は人を欺(あざむ)くための手段に過ぎないという考え方である。

生産性崇拝の罠(わな)

モノの生産は、すでに機械とロボットが支配する領域になりつつある。一方で、アイデアを生むのは人の役割であり続けている。ゆえにナレッジワーカーは、その労働において手と同じくらい頭と心を使っている。そうした中で、メールやチャット、ワープロ、プリンタなどのツールを使用することは、コミュニケーションやアイデアを生むスピードを増すことにつながっている。ゆえに、生産性を指標にすれば、ツールがナレッジワーカーに与えた効果が定量的に分析できる。ただし、ツールは人のアイデアの品質にほとんど影響を与えない。ゆえに、創造性を尺度にツールの効果を計測するのは難しい。

また、生産性では、ナレッジワーカーが本当に正しい仕事をしているのかどうかも測れない。例えば、ソフトウェア開発者が1日で10個のバグを修正したとしよう。仮に、それらのバグ修正が顧客にとって意味のないものであるならば、その開発者は1日の労働時間を無駄な作業に浪費したことになる。

それでも、ソフトウェア開発チームのパフォーマンスが、開発した機能の数や修正したバグの数、そして製品を出荷するまでにかけた時間によって計測され、評価されることはいまだに多い。このような評価は、開発チームを間違った方向へと導くおそれがある。

実際、製品出荷のスピードや出荷する製品の数に重きを置いた評価が行われていると、開発チームは、製品の完成度や顧客満足度を上げることよりも、開発スピードのほうを重視し、顧客体験の良質化に何も貢献しないような、貧弱な機能の製品を数多く出荷しがちになる。また、バグ修正にも十分な時間をかけようとしなくなり、それが結果的に品質の低下を招くことになる。さらに、生産性の指標に縛られている開発チームは、深く、構造的な考察・思考が要求され、かつ、失敗のリスクも大きい野心的なプロジェクトに取り組もうとはしなくなるのである。

生産性への執着は、ナレッジワーカーのワークライフバランスに負の影響を与える可能性も高い。例えば、チームリーダーやマネージャーがメンバーに生産性の改善を(そのための画期的なツールを与えずに)求めたとすれば、それは彼らに対してより長時間働くか、仕事のスピードを上げるかのいずれか(あるいは、双方)を要求しているのと同じことである。それによって、メンバー全員のストレスレベルは必ず上昇し、創造力は落ちていく。なぜならば、人は頭を使い過ぎ、不安や疲れを感じていると、創造的に物事を考えたり、問題に全力で取り組んだりすることができなくなるからである。

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