研究者やエンジニア、医師など多様なスキルを持つ人材が集まって、地球の環境変動を調査する南極地域観測隊。滞在期間が1年4カ月の越冬隊と、4カ月間の夏隊が毎年派遣されている。2018年に派遣された第60次南極地域観測隊で、女性で初めて副隊長 兼 夏隊長を務めた原田尚美さんに、厳しい環境で隊を率いるにあたり実践したチームづくりと、女性リーダーとしての工夫を聞いた。

画像: 原田尚美(はらだ・なおみ)。 東京大学 大気海洋研究所 附属国際・地域連携研究センター 教授。国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)地球表層システム研究センター 海洋生態系研究グループ上席研究員。名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻博士後期課程満了。南極観測隊の第33次夏隊に日本の南極地域観測隊史上2人目の女性隊員として参加。第60次では女性初の副隊長 兼 夏隊長を務める

原田尚美(はらだ・なおみ)。
東京大学 大気海洋研究所 附属国際・地域連携研究センター 教授。国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)地球表層システム研究センター 海洋生態系研究グループ上席研究員。名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻博士後期課程満了。南極観測隊の第33次夏隊に日本の南極地域観測隊史上2人目の女性隊員として参加。第60次では女性初の副隊長 兼 夏隊長を務める

初の観測隊参加から26年後、女性初の夏隊長に就任

南極地域観測隊(以下、南極観測隊)は、南極観測船「しらせ」と1957年に開設された昭和基地を拠点に、地球環境の観測を行うものだ。国立極地研究所や気象庁、大学などに所属する研究者をはじめ、企業の研究者やエンジニア、医療関係者、土木や建設の技術者、調理人、学生など多様な人材が参加する。

原田さんは91~92年に派遣された第33次夏隊に初参加した。約70人いる隊員のうち、女性は原田さん1人。史上2人目の女性隊員だった。当時大学院生だった原田さんは、男性の先輩が誰も行きたがらないのを見て、自ら参加を希望した。

「大学院生のとき、指導教官に観測隊への隊員派遣の依頼が来たのですが、最初は男性の学生に声が掛かりました。でも、そんな寒いところには行きたくないという人たちばかりだったので(笑)、私が手を挙げました。大学の卒論を指導した教官が南極観測の経験がある人で、南極の素晴らしさを楽しそうに話すのを聞いて憧れを持っていたんです。

観測隊での業務は当時、私が研究していたテーマとは違っていたので指導教官からは大反対されました。けれど、この機会を逃したら二度とチャンスはないと思い『しっかり論文を書きますから』と指導教官を説得して、行かせてもらいました」(原田さん)

第33次夏隊で原田さんは海洋観測に携わった。海の表層ではプランクトンが二酸化炭素を原料に光合成をして、有機物を作り出す。海の深い方へと沈降していくその有機物の粒子は「マリンスノー」と呼ばれる。原田さんはこの有機物の粒子を採取し、量や季節変化などを観測する生物・医学班に所属した。

「往路の『しらせ』で、寒い南極の海に鉄製のチェーンなどで構成されるセジメントトラップ係留系*をひたすら投入します。そして『しらせ』の復路で回収するのがメインのプロジェクトでした。南極観測は体力勝負で、1人ではできない仕事が大半です。多くのみなさんに助けていただいて、務めあげることができました」(原田さん)

*海中に係留することで長期間にわたる変化を観測する自動サンプリング装置(セジメントトラップ)のこと

隊から戻ってきたあと、原田さんは海洋科学技術センター、現在の海洋研究開発機構(JAMSTEC)に就職。約50人が所属する地球表層システム研究センターのセンター長を務めていた2018年に、第60次の副隊長 兼 夏隊長として声がかかった。

「10年頃から北極の研究に関わるようになって、南極観測についてもさまざまな計画を話し合う委員会の委員に就いていました。JAMSTECでマネジメントの仕事もしていたので、その部分を買っていただいたのかもしれません。南極にはまたいつか行きたいと思っていたので、お受けすることにしました」(原田さん)

観測隊チームの初対面は雪山での過酷な冬訓練

南極の真夏は2月で、最高気温は2~3度。冷え込むと氷点下10度くらいで「北海道の冬の気候と似ている」(原田さん)。南極ではもっとも暖かく活動のしやすいこの時期に、夏隊には多くのチームが参加して観測を行うことになる。

副隊長 兼 夏隊長に任命された原田さんの役割は、隊長を補佐するとともに夏隊の業務を取りまとめること。夏は観測に加えて施設の建設なども行う。さらに、越冬隊が冬の間に必要とする物資の輸送などもある。野外観測の移動や空からの輸送を担う自衛隊などのヘリコプターのスケジュールを管理することも、原田さんの重要な仕事だ。

第60次隊が派遣されたのは18年11月。その年の2月に、夏隊員と同行者を合わせた約70人と、越冬隊員の約30人が初めて顔を合わせた。集合してすぐにバスで向かった先は長野県と岐阜県にまたがる乗鞍岳(のりくらだけ)。冬の雪山で1週間にわたって過酷な冬訓練を実施した。

「チームに分かれて、雪山で地図とコンパスだけで目的地を目指す訓練や、簡易型テントのツェルトで一晩過ごす訓練、氷や雪の割れ目のクラックに落ちたことを想定して救出する訓練などを行いました。

どちらかといえば、南極での活動よりも冬訓練の方が環境も厳しく、身の危険を感じることがあります。過酷な状況で一週間濃密な時間を過ごすことにより、チームに一体感が生まれるんです」(原田さん)

冬訓練でチームが一体となってから具体的な準備を進めていくのが、観測隊が通常行っているチームビルディングだ。冬訓練の期間中、夕食後に隊長と副隊長は隊員1人1人にインタビューを行う。これまで取り組んできた研究や業務の内容、南極への思い、家族のことなどを聞き、対話を通して隊員のことを把握する。

冬訓練が終わると、4月からはチーム別に南極に行くための準備を始める。6月以降は座学の夏訓練が行われるほか、7月に隊員室が用意されて、出発に向けた作業が本格化する。こうした準備期間を経て、11月に日本からオーストラリアのパースへ空路で入り、最寄りの港湾都市フリーマントルにて南極観測船「しらせ」に乗って出発することになる。

画像: 南極観測船「しらせ」。南極へ出発するのは11月だが、隊員はその半年以上前から雪山訓練、座学などを通しチームの一体感を高めていく。(提供:原田さん)

南極観測船「しらせ」。南極へ出発するのは11月だが、隊員はその半年以上前から雪山訓練、座学などを通しチームの一体感を高めていく。(提供:原田さん)

画像: 「しらせ」に乗船し、宮崎好司艦長*と握手を交わす原田さん(提供:原田さん) *「崎」は正しくは“立つ崎”

「しらせ」に乗船し、宮崎好司艦長*と握手を交わす原田さん(提供:原田さん)
*「崎」は正しくは“立つ崎”

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