隊員に伝えた「アンコンシャスバイアス」

ただ、原田さんは第60次ではこれまでの観測隊とは違う準備が必要だと感じていた。それは、原田さんが女性で初めての副隊長 兼 夏隊長だったからだ。

「夏隊長としてみんなに受け入れてもらえるのだろうかという思いが、私の中で強くありました。リーダーは男性という固定観念がありますよね。アメリカのシリコンバレーで行われたアンケート調査で、男性と女性のどちらのリーダーの下で働きたいかを聞くと『男性』という回答が圧倒的に多かったという結果があります。これは日本でも同じだろうと思い、女性のリーダーに慣れてもらう必要があると考えました」(原田さん)

そこで原田さんは、3月頃からアンコンシャスバイアスについて専門家から学び始めた。アンコンシャスバイアスとは、無意識のうちに「こうだ」と思うこと。日本語では「無意識の思い込み」や「無意識の偏見」などと表現されている。

この考え方を全員に知ってもらうため、座学で講義を行った。原田さんが実行しようとしていた調整型のマネジメントを理解してもらうことが、大きな目的の1つだった。

「男性リーダーの場合は強いリーダーシップを発揮して引っ張っていくイメージが、ステレオタイプとしてあると思います。私が目指したのはそうではなく、トラブルが起きそうになれば、芽が小さいうちにつみ取るようなイメージの調整型マネジメントです。アンコンシャスバイアスの考え方を知ってもらって、コミュニケーションを深めることで、私に対する信頼感を持ってもらうことを心掛けました」(原田さん)

先輩隊との摩擦を回避 アンコンシャスバイアスへの理解は現地でどう生きたか

原田さんがアンコンシャスバイアスの考え方をチームに取り入れた目的はもう1つあった。それは、1年前から南極に滞在している第59次の隊員との衝突を避けるためだ。

「私たちが昭和基地に入ると、そこには先輩隊である第59次の越冬隊がいて、夏の間は一緒に仕事をします。ところが、先輩隊は過酷な環境の中で同じ顔ぶれの人々だけで過ごしてきたので、後輩である60次隊に対して壁を作ってしまう可能性がありました。特に初めて参加した隊員や、観測経験がない隊員、あるいは女性隊員といった弱い立場の人は、受け入れてもらうまでに時間がかかる傾向にあります。これは観測隊ではよくあることです。どんなに社交的な人であっても、こうしたメンタリティになってしまうことを私は経験上知っていました。

そこで、先輩隊に友好的ではない言動があったとしても、それはその人の本心ではなく、過酷な環境が言わせている可能性があるので気にする必要はないことを、アンコンシャスバイアスの考え方で説明しました」(原田さん)

実際に南極で仕事を始めると、先輩隊から予想された通りの対応を受けた隊員もいた。それでも、大きなトラブルに発展することはなかったという。

「60次隊員は、アンコンシャスバイアスを知っていたことでうまく対応することができたようで、特に女性隊員は『原田さんが言った通りでした』『何とかうまくかわすことができました』と話していました。

もしも受け流せずに摩擦が生じると、仕事の遅延や事故につながる恐れがあります。アンコンシャスバイアスの考え方が浸透することによって、そのリスクを取り除くことができた――調整型マネジメントが機能したのだと、安堵しました」(原田さん)

「何のために南極に来たのか?」トラブル時には初心に戻って前進を

もちろん、アンコンシャスバイアスの考え方だけでは避けられないトラブルもある。それは先輩隊に限らず第60次隊の中でも同様で、人間関係がうまくいかないチームも実際に出てきた。割れてしまったチームでも仕事を前に進めるために、原田さんは隊員に観測隊の目的に立ち戻ることを促した。

画像: 「しらせ」にてサンプリングを行う様子。(提供:原田さん)

「しらせ」にてサンプリングを行う様子。(提供:原田さん)

画像: 南極で陸上生物チームと。中央に原田さん(提供:原田さん)

南極で陸上生物チームと。中央に原田さん(提供:原田さん)

「人間関係がうまくいっていないチームには、別のチームからサポートメンバーに入ってもらうこともあります。それでもうまくいかないチームには、メンバーそれぞれと個別にコミュニケーションをとって『何のために南極に来ているのかをもう1回考えてください』とお願いしました。私たちのミッションは、観測データを取って、それを日本に持ち帰ることです。この目的に立ち戻って仕事に取り組みましょうと繰り返し話しました」(原田さん)

野外で観測を行っているチームには、1週間で各地を転々とするチームもあれば、1カ月単位で一箇所に滞在しているチームもある。原田さんは野外のチームとは毎日夕方の決まった時間に無線で連絡を取り合っていた。

「定時交信は隊員の身の安全を守るためでもあります。一歩間違うと死が隣り合わせにある場所ですから、交信は毎日の重要な仕事です。野外から帰ってきたチームが問題を抱えている場合は、話を聞いて、一緒に解決する方法を考えました。

また、誰がいつ来ても相談しやすいように、私はオペレーション室という決まった部屋にいるように心掛けました。そこには私以外にもサポートしてくれる隊員がいます。その部屋に行けば、必ず誰かが話を聞いてくれると思ってもらえるような雰囲気になっていました」(原田さん)

原田さんが夏隊長として2カ月間の滞在を終え日本に戻るとき、ヘリコプターからヘリポートを見下ろすとハートマークの人文字が見えた。引き続き南極で1年を過ごす越冬隊員からのメッセージだった。

「別れ際に『これから1年間ハッピーに過ごしますよ』という意思表示をしてくれたのだと思います。観測隊の隊長にはいろいろなタイプの方がいて、それぞれにチームづくりの信念ややり方があります。自分はどうだったのだろうと考えたとき、思い出すのはあの人文字で、『私は間違っていなかったかな』と当時ヘリから感慨深く見つめたことを覚えています」(原田さん)

画像: 第60次越冬隊員が人文字で送り出す様子(提供:浅井咲樹さん<現在:水産研究・教育機構>)

第60次越冬隊員が人文字で送り出す様子(提供:浅井咲樹さん<現在:水産研究・教育機構>)

多様性が高いチームでリーダーもまた成長できる

最近は人材流動化が加速し、企業側も多様性を高める目的で異なるスキルを持つ人材を積極的に受け入れ組織を活性化していきたいと考える傾向にある。しかし既存の共同体に「異分子」が入ったとき、摩擦が生じる可能性は少なくない。そのような事態を避けようと考えたとき、マネジメント層が南極観測隊と原田さんに学ぶことは多いはずだ。

「これは私の経験則ですが、メンバーのメンタリティはリーダーのマネジメントによって大きく左右されます。リーダーが日々小さな不満をつみ取り、それによって充実した時間を過ごせている組織であれば、内外に寛容になれて摩擦が生じる機会も減るはずです。私は、個々の体調、メンタル、チームのコミュニケーションは全てつながっていると思っていて、それがマイナスに循環するのかプラスに循環するのかにおいて、リーダーの存在は要だと考えています」(原田さん)

加えて、チームの多様性を生む上で「さまざまな組織にアンコンシャスバイアスに対する理解がもっと広がってほしい」と、原田さんは最後にこう話す。

「マネジャーになる人には全員、アンコンシャスバイアスを学んでほしいと思っています。誰でもつらいとき、苦しいとき、忙しいときなどにはアンコンシャスバイアスによる発言になりやすいと理解できれば、相手を理解しやすく、自分の発言もコントロールできます。その結果、誰もが仕事しやすく、あるいは生きやすくなるのではないでしょうか。まだ広く知られていませんから、多くの組織に広がることを願っています」(原田さん)

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