アトラシアンには、働き方改革のエキスパートが多くいる。その一人が、ワーク フューチャリストのドム・プライス(Dom Price)だ。彼は企業組織のリーダーに向けて、変革のためのメッセージをコラム形式で発信し続けている。この連載では、そのエッセンスをお伝えしていく。

産業革命時代のスタイルをいつまで踏襲するのか?

今は21世紀である。にもかかわらず、自社の従業員を、19世紀後半における第二次産業革命時代の工場労働者のように扱いたがる会社は多い。

かく言う私も、ほんの10年前まで“時間でいくら”の労働者だった。コンサルタントとして社会人としてのキャリアをスタートさせた私は、「何時間働いたか」によって自分の報酬──言い換えれば、自分の仕事の価値が決められていたのである。働き始めてしばらくは、「まあ、それが普通なのだろう」とあまり気にしていなかった。だが、ときが経つにつれて、この制度に恐怖にも似た戸惑いと憤懣を感じ始めた。

そもそも、ホワイトカラー(「知的労働者」とも言われる)が提供する価値と働く時間との間に関係性は一切ない。事実、私や同僚がコンサルタントとして提供していた価値は、それぞれの創造性や好奇心、思考力によってもたらされていた。それらは、労働時間にマッピングできるような価値ではなかったのである。

それでも私の顧客たちは、私が働いた時間や報告書というアウプットの数量で料金を支払っていた。要するに、どんな成果を手にしたかとは無関係に、単純なアウトップの数量で私たちのサービスフィーを支払っていたわけだ。それは彼らにとって不幸だったに違いなく、そんな彼らを見る私たちもまた不幸だった。

このような“前近代的なビジネス環境”が、かつての私の職場だった。しかし今では、自分の価値や成果で報酬が決まる近代的な会社で働けている。実にありがたいことだと思う。

そんな自分の幸運に感謝しながら、ふと、社外を見渡すと、10年前の私と同じ境遇にいるホワイトカラーが実に多いことに気づく。彼らの不幸を作っているのは、“フェチ”と呼べるほど「生産性(Productivity)」という言葉が好きな経営者たちである。

彼らは、まるで第二次産業革命時代の工場長のように、働き手(ホワイトカラー)の生産性を上げることにやっきになっている。もちろん、生産性を上げようとする彼らの意志は、悪意から生まれたものではない。とはいえ、第二次産業革命時代から100年以上もの歳月が経過している現在、そろそろホワイトカラーの生産性について見つめ直し、新しい労働パターンの採用を検討すべきではないだろうか。

「効率的」と「効果的」の混同

多くの企業は、ホワイトカラーの社員たちを「効率的に仕事をこなす人=優秀な人」という指標で見る傾向が強い。

この指標は、何かを作れば必ず売れていたような大量生産・大量消費時代には、ある程度機能していたのかもしれない。だが、少なくともホワイトカラーに対する今日の価値判断に、このような指標を使うべきではない。というのも、現代は「ホワイトカラーが効率的に仕事をこなしたから」、あるいは、「より短い時間で、よりたくさんのアウトプットを出したから」といって、会社の収益が増大するような時代ではないからである。

確かに、効率的に仕事をこなす社員は魅力的に映る。そのため、経営層やマネジメント層はついつい生産性の向上ばかりを従業員に求め、従業員たちは、簡単な仕事をどんどんこなして、自分の「To-Do」リストから消していったり、インボックスのメールから未読メールや未対応メールをなくしたり、チャットのメッセージに即座に返答したりすることにやたらと熱心になる。そして、それらをスピーディにこなすことで、多くのことを成し遂げたような錯覚に陥ってしまうのである。

果たして、そのようなことで、企業は満足のゆく成果を手にできるだろうか──。言うまでもなく、答えは「ノー(No)」である。

また、私たちワーカーが真に欲しているのは、意味ある仕事をすることであり、常に望んでいるのは「重大な問題を解決するソリューション」や「優れたアイデア」である。

実のところ、私たちが100年に一人の大天才でない限り、今日における複雑な問題を一人で解決することも、これまでにない優れたアイデアを想起することも不可能と言える。したがって必要なのは、共通のゴールに向けて、チームのメンバーと“ともに働くこと”にほかならない。その協働の中で、一人ひとりがベストの仕事をするには、チーム内での人材のダイバーシティとメンバー同士の創造的な衝突が何よりも大切で、それこそが他とは違う特別な成果を生む源泉と言える。

もちろん、人のダイバーシティと衝突によって、最高の成果を手にできるようになるまでには相応の時間がかかる。多くの人が、その時間を“税金”と見なして、“支払い”を嫌い、少しでも小さくしようとする。だが、それは“税金”ではなく“投資”と見るべきというのが私の考えだ。

また、ホワイトカラーに対する効率性の追求は、“行動”のスピードアップにはつながるだろうが、一方で、進むべき道を見誤る恐れが強くなる。仮に、間違った方向へと突き進んでしまった場合、効率性だけに集中しているがゆえに、間違いになかなか気づけないことも起こりうる。結果として、はるか後方にあるスタート地点に立ち戻らざるをえなくなり、大きな“非効率”を生んでしまう可能性も膨らむのである。

このような事態を回避し、チーム/組織の仕事を効果的なものにするには、顧客ニーズに自分たちを適合させて、顧客を幸せにすることに全力を尽くすことが不可欠となる。そのような価値創出の取り組みにおいては、効率性ばかりを追い求めるのではなく、十分な時間をかけることもときには必要なのだ。

米国では“燃え尽き症候群”、日本では残業カット

「仕事をもっとスピーディに!」
「もっと生産性を高めよう!」
「より多くのアウトプットを!」──。
このようなことをホワイトカラーに強要し続ける職場で働いていると、従業員たちは「燃え尽き症候群」に陥る。直近のある調査によれば、米国におけるフルタイムワーカーの23%が、週末に“燃え尽き症候群”にかかっているという。それは、米国労働者の年間医療費合計が1,000億ドル超であることの一因と言えるだろう。

このような事態が起きるのも、第二次産業革命時代の発想から脱し切れない企業が多いためである。この時代の工場労働者は、全員が同じ時間をかけて、同じモノを作り、同じ価値を生み出していた。つまり、労働時間と労働者が生む価値は、ほとんど等関係にあったわけだ。一方で、現代社会のホワイトカラーは、自分の頭脳と集中力をフルに使って価値を生まなければならない。そのような仕事を、固定化された8時間のタイムフレームの中で毎日やらされ、しかも「生産性向上」を耳元で叫ばれ続ければ、精神的な疲労が激しくなるのが当たり前である。

しかも今日では、AI(人工知能)が猛スピードで発達し、知的労働とされながらも、機械的な作業にすぎなかった仕事が、すべて自動化されつつある。これはすなわち、「歯車のように働くホワイトカラー」、あるいは「ロボットのように働くホワイトカラー」が早晩不要になり、ホワイトカラーに残された仕事が「問題の発見/解決」だけになることを意味している。この変化は、日々の仕事が充実していて、自分の頭が冴えているときには、一瞬、すばらしいことのように思える。だが、腰を据えてAIの未来と自分の仕事との関係を見ていくと、おそらく大きな精神的重圧を感じるはずである。

そんな時代にあって、9時5時の勤務体系の中で、ホワイトカラーを連日働かせていて良いとは、私には到底思えない。また、そもそも毎日の8時間の中には、ホワイトカラーが実質的に何もしていない、あるいは、まったく頭を働かせていない時間が多く含まれているはずである。そうした時間も、「生産の時間」にカウントしなければならない無意味さに、なぜ、多くの企業経営者は気づかないのだろうか。もし、それに本当に気づいていないのであれば、事態はさらに悪化していくに違いない。

ちなみに、日本では事態が十分に悪化しているようで、「働き方改革」と称して、とうとう政府が労働者の労働時間にメスを入れたようだ。それはいいことのように見えるが、この政策の結果として、日本のホワイトカラーは、自分の創造性を発揮したり、問題を解決したりするプロセスとは無関係に、「働いても良い時間」を強制的に制限されることになった。そのうえ、年5日間の有給休暇の取得も義務づけられたという。この改革の一つの狙いとして、ホワイトカラーの付加価値生産性の向上があるようだが、先に触れたとおり、ホワイトカラーの労働時間と価値創出とは無関係である。労働時間を長くしても、短くしても、価値を生むための環境が整っていなければ、ホワイトカラーがより多くの価値を生むようになることはないのである。

人の能力をITでは変えられない

ここまでの記述を読み、「おいおい、ドム。キミは、“生産性”の追求に意味はないというが、それは生産性向上のためのITツールをすべて捨てろということか? そもそもキミの会社(アトラシアン)は生産性向上ツールの会社ではないのか?」と、疑問に思う方がいるかもしれない。

そのように思うのも無理はないが、そもそもITツールには、人の本質的な能力を高めるような力はない。仕事のできない人が、ITツールの力で仕事ができるようになるわけではなく、ITツールを持っている/いないにかかわらず、愚者は愚者、賢者は賢者で、目標を達成できない人は目標を達成できないのである。

では、どうしてITツールが必要なのか。理由はシンプルで、ITツールは、目標達成に向けて正しい取り組み行っている人をバックアップし、目標達成を早めたり、より確実にしたりすることができるからである。

例えば、あなたが運動嫌いで、運動をせずに体重を減らしたいと考えたとしよう。このようなとき、おそらくあなたは健康食品に頼ろうとするだろう。ITツールは、ちょうどその“健康食品”に当たるものだ。

ご承知のように、健康食品を使っても運動をしなければ、ダイエットの目標を達成するのは難しく、仮に達成できたとしても、かなりの時間を要するはずである。それと同様に、ITツールを使ったからといって、ビジネス目標の達成が約束されるわけではなく、いきなり生産性が上げられるわけでもない。ただし、ダイエットという目的を果たすうえで、運動という正しい取り組みを行っている場合、健康食品の使用は、目的達成を早める、あるいはより確実にする有効な手段となりうる。そしてそれは、ITツールについても同様だ。あなたが目標達成に向けて正しい取り組みを行っているならば、ITツールを使うことで、目標達成を早めたり、確実にしたりすることが可能になるのである。

ここで、ソフトウェア開発の場面も想起していただきたい。

あなたが、同僚の記述したプログラムコードをレビューして、より保守性の高いコードへと変更したいとしよう。開発について10年程度の経験をお持ちの方であれば、特別なツールを使わずとも、そうしたコードレビューを行うことはできる。ただし、「Crucible」「Bitbucket」といったツールを使えば、コードレビューをより迅速に、簡単に、かつ正確に済ますことが可能になるのである。

変化に気づく

個人・チーム・部門の継続的なパフォーマンス改善を図るための一手として、「4Ls」と呼ばれるプロセスがある。

「改善」というと、「業務効率改善」や「生産性改善」をイメージしがちだが、4Lsの意図はそこにはない。これは、4半期ごとに、過去3カ月間で「何を気に入り(Like)」「何を嫌い(loath)「何を学び(learn)」「何に憧れたか(Long)」を振り返り、次の改善につなげるための手法である。手法の根底には、次のような考え方が流れている。

  1. 人生は短いので、好きなことのすべてにより懸命に取り組もう
  2. 嫌いなこと、嫌なことを減らすための方法を究明しよう
  3. 学んだことをどのように応用して、憧れたものを手に入れるかを考えよう。

また、世の中には、1日の遅くにならないと頭のスイッチが入らない人もいれば、創造性が最大化されるタイミングが午前中の人もいる。

その中で、各人の能力を最大限に引き出しながら、複雑な問題に対する斬新なソリューションを生み出そうと考えるなら、9時5時の決まりの中で1日8時間/週40時間も、チーム全員を一つの場所に拘束するような働かせ方は避けるべきである。

もし、チームが働く時間が週34時間程度で十分なのであれば、残りの6時間は、休息・ヨガ・家族との団らんなど、それぞれがエネルギーを補充して、リフレッシュできるような事柄に振り向けてもらうのが大切である。加えて、リモートワークの環境を整えておけば、何らかの事情で1日8時間、オフィスで働くことのできない人材にも、チームの戦力として活躍してもらうことが可能になる。

かつて、私の勤めていたコンサルティングファームでは、私を含めた全員が、“労働”を提供することに終始し、『どのような成果や成功を顧客に手にしてもらうか』という、仕事をするうえで最も重要なポイントをなおざりにしていた。今考えると、とても恥ずかしい話だが、これは多くのビジネスパーソンが陥りやすいワナではないだろうか。

ソフトウェア開発の仕事でも、仕上げたプログラムコードをデリバリーするという“生産物の出荷”に似たプロセスが発生する。

そのため、プログラムコードを完成させることを目的にしがちだが、それは目的ではなく、目的を達成するための手段にすぎない。重要なのは、プログラムコードによってどんな価値を周囲にもたらしたかで、その価値がプログラマーの成果と言える。ゆえにプログラマーの仕事も決して時間で料金が決まるようなものではないのである。

このように、労働時間の長短だけで仕事の価値が測れないのは、クリエーターやデザイナーだけではない。今日では、プログラマーを含むすべてのホワイトカラーの仕事が、労働時間の長短では測れない時代に突入している。すべての企業は、その変化に気づくべきだ。

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