輝くためにあえて逆境に飛び込む
野崎:本日は対談のお誘いにご対応いただきまして、ありがとうございます。本日の対談のテーマですが、自治体マーケティングという前例のない取り組みに挑み、数々の成果を上げられてこられた河尻さんの働き方、プロジェクトマネジメントのあり方、リーダーシップの取り方などにフォーカスを絞りながら、そこにアトラシアンが推進するアジャイル開発の手法(以下、アジャイル手法)、あるいはアジャイルな働き方との共通点はないかといった辺りを探りたいと考えています。
河尻氏(以下、敬称略):アジャイル手法との共通点ですか。あるのかしら(笑い)。でも、興味深いテーマですね。
野崎:ありがとうございます。河尻さんのご活躍についてはTVを含めてさまざまなメディアで取り上げられていますが、その中でまず確認しておきたいのは、大手の民間企業から、自治体の職員になろうとした理由です。きっかけは流山市への転居だったと記憶していますが、それはあくまでもきっかけであって転職の理由ではないですよね。
河尻:おっしゃるとおりです。流山市への転職を希望した理由は、自分の価値を生かして評価される場所で働きたかったからです。私は新しい何かを立ち上げたり、これまでとは異なる何かにチャレンジしたりするのが好きなのですが、変化を好む組織で変革を主導し、成果を上げても目立ちませんよね。逆に変化を好まない組織で、変革を主導して成果を上げれば、より輝くことができる。そんな考えから流山市への転職に踏み切りました。
野崎:以前、お勤めだった企業は変化を好む組織だったのですか。
河尻:いいえ、変化よりも安定を重視する組織でしたし、歴史ある企業でしたので、部署ごとに職務が細分化されていて、マーケティング施策のPDCAサイクル全体を自ら回すようなことができず、そこにストレスを感じていました。それに対し、流山市のマーケティング組織は、立ち上げて5年ほど。まだ走りながら考え、実行している段階でした。ですので、自分の立てた企画を自ら遂行して成果を上げるまでコントロールできると考え、そこに面白みや、やりがいを感じたわけです。
野崎:ご自分が輝くために、自分とは異なる価値観を持ち、これまでの職場とはまったく異なる文化を持った組織を選んだということですね。それは、自己実現のためにあえて逆境に飛び込んだともいえますね。そもそも逆境はお好きなのですか。
河尻:ええ、壁が高ければ高いほどやる気が湧いてくるタイプなので、逆境は好きなんです。
突き当たった壁をアジャイルに乗り越える
野崎:あえて飛び込んだ流山市で、河尻さんは15年間にわたってマーケティング課で活躍され、2018年からは課長としてチームを率いるお立場になられた。その15年間でどんな困難に直面してそれをどう乗り越えたかの具体的な事例を教えていただけますか。
河尻:苦労した1つは、マーケティング組織を立ち上げた流山市長(井崎 義治氏)のビジョンに沿ったかたちでプロモーションを展開しようとしたときです。
野崎:どのような苦労だったのですか。
河尻:簡単に言えば、周囲の協力をなかなか得られなかったんです。
私が入職したころ、市長には15年後の流山はこうなっているというビジョンがあるように私には見えました。ただし、今そこにないものを明確に想像できないように、そのビジョンを多くの人が全く同じように理解するのは難しいと思います。ゆえに、市長のビジョンに沿った地域マーケティング、ブランディングの企画を立てても、それに共感し、協力してくれる人が少なく、入職から5年間くらいは協力者を獲得するのに時間と手間がかかりました。
野崎:それは大変そうですね。
河尻:一方、入職5年目から10年目にかけては、住民の方々と協働して地域ブランディング、マーケティング、あるいはプロジェクトやイベントを展開することが必要だと考え、取り組み始めたのですが、住民の方々と、どうやってつながり、共感・協力してもらうのか、やり方が分からず大変でした。また、住民の方々との協働を始めた当初は、住民の方を巻き込んだプロジェクト、イベントが失敗したらどうしよう、市のマーケティングに対する批判ばかりを受けたらどうしようといった恐怖心があり、街中にどんどん出ていく勇気がなかなか湧きませんでした。その壁も結構高かったですね。
野崎:そうした壁をどのようにして乗り越えたのですか。
河尻:とにかく何かを始動させて仮説検証を繰り返し、その中で、答えを見つけていきました。
例えば、私は、母親の自己実現を支援する「そのママでいこうproject」を立ち上げたのですが、そのときは、私の考えに共感してくれる住民の女性2、3人でプロジェクトを始めたんです。ただ、その企画を練っていく中で、プロジェクトでやりたいことがメンバー間で少しずつ違ってきて、もう一緒にはやれないかもしれないとなりました。
そんな状態のままプロジェクトを続けていても、なにも成さずに計画が頓挫してしまいます。そこで、とにかく1回、自分たちのアイデアをかたちにして、世の中に出してみようと、母親たちが意見を交換できる場を設けてみたんです。すると、私たちの予想を上回る反響があり、そこから自然にプロジェクトが成長し始めて、地域で自発的なイベント等が開催されるようにもなったんです。
このとき、自分たちのアイデアをかたちある何かにスピーディに転換して世に出し、仮説検証を繰り返していくことの有効性と大切さを学びました。
野崎:プロジェクトをスピーディに仮説検証を繰り返しながら進めるというのは、まさにアジャイル手法と共通性がありますね。
自治体に強く求められる変化への即応力
河尻:私はアジャイル手法についてよく知らないのですが、私のプロジェクトの進め方のどの辺りにアジャイル手法との共通性があるのですか。
野崎:先ほど、アイデアをスピーディに形にして世に出し、仮説検証を繰り返すことが大切とおっしゃられましたが、それはアジャイル手法の考え方そのものです。アジャイル手法を使ったソフトウェア開発においても、顧客に提供する価値を小さな機能に分解し、それぞれの機能を短いサイクルで開発、リリースするんです。そして、利用者からのフィードバックをもらいながら、改善を繰り返し、プロダクトを洗練させていくわけです。
河尻:なるほど。ならばプロジェクトに対する私のアプローチと共通性がありますね。
野崎:ただ、ユーザーのフィードバックを収集しながら、ソフトウェアの改修を繰り返していくと、ソフトウェアの方向性が当初設定した目標・目的から逸れてしまうリスクがあります。そこで大切になるのが、動かぬ目標、目的、すなわち「ノーススター(北極星)」を常に仰ぎ見ながら、利用者のニーズや変化を取り込んだり、機能追加・変更の優先順位を決めたりすることです。河尻さんのお仕事でいえば、市長のビジョンや市の人口を増やしたりすることが「ノーススター」で、それに向けて住民のニーズや変化を吸収しながら、施策、政策を洗練させていく点がアジャイルだな、と。
河尻:なるほど。私は同じ山の頂(いただき)を目指すとしても、頂上に至る道筋はいくつあっても構わないと考えています。
野崎:また、現在のビジネスにおいては、ソフトウェア開発の部門など、企業を構成する1つの組織がアジャイル手法を取り入れるだけでは、変化に対する企業全体としての俊敏性は大きく高められません。ビジネスをサポートするすべての組織が、アジャイルである必要があります。そうしたことから、民間企業の間では、開発部門の外や経営にまでアジャイル手法を取り入れる動きも見られています。
河尻:なるほど。確かに、私が新しいことに比較的早く挑戦できるのも、サポートがもらえる環境があってこそです。そう考えれば、特定の組織・チームだけがアジャイルを取り入れても、有効ではありませんね。
野崎:その点も踏まえてお聞きしたいのですが、自治体でも、組織全体として変化に俊敏に対応したいというニーズがあるのではないですか。河尻さんのお話を聞いていると、自治体においても、世の中の変化や不測の事態に機敏に対応しなければならない場面が増えていて、アジャイル手法のような仕組みの取り込みが必要とされているように感じるのですが。
河尻:私も、それは感じますね。例えば、不測の事態への対応という意味では、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)が流行したとき、全国の自治体がワクチン接種の予約受付や会場運営を担いましたし、集中豪雨などの災害への対応も当てはまると思います。それらを通じて、すべての自治体が不測の事態が発生したときに、俊敏に対応できることの大切さを痛感し、そのための体制を築きたいというニーズが強くなったと思います。
野崎:なるほど。確かに、そうした有事への対応など、地域住民の暮らしを守るための施策展開が遅れたり、その品質が悪かったりすると、地域住民の方々に負のインパクトを与えることになりますね。
河尻:それだけではありません。SNSが発達した今日では、自治体の取り組みは比較され、瞬く間に全国に拡散される可能性があります。結果として、他の地域への人口の流出、ないしは流入数のダウンへとつながる恐れがあると思います。
いずれにせよ、自治体の取り組みは、人の暮らしに直結しています。だからこそ、組織の活動には、法令に則った信頼性と併せて俊敏性も必要となり、アジャイル手法の採用など、俊敏性を確保する仕組みづくりや体制づくりが求められていくかもしれませんね。