「両利きの経営」を組織論として説く

本書は、市場で確固たる地位を築いてきた成熟企業が、既存事業を維持しながら、新規事業を立ち上げ、新たな収益の柱を築いていく「両利きの経営」に焦点を当てた一冊だ。両利きの経営を組織戦略と位置づけ、日本の企業が「両利きの経営」を実現するための組織開発のアプローチを、理論と実践、そしてAGC(旧旭硝子)の成功事例の3つの要素を織り交ぜながら説いている。

メインの著者である加藤氏は、株式会社アクション・デザインの代表取締役であり、2000年からの20年以上の長きにわたり、大手企業を中心に人材育成・組織開発のコンサルテーションやエグゼクティブ・コーチなどを展開してきた人だ。本書の共著者であるスタンフォード大学経営大学院教授のチャールズ・A・オライリー氏を恩師として仰ぎ、同氏が提唱する「両利きの経営」の日本における共同研究者の任にも当たっている。

周知のとおり、本書が「両利きの経営」の成功者として取り上げているAGCは1907年に創設された素材メーカーであり、ガラスメーカーとしては世界最大規模を誇る企業でもある。建築用ガラス・自動車用ガラス、液晶ディスプレイなどのガラス製品や化学製品を主力に30を超える国と地域で事業を展開し、従業員数は5万6,000人を超える(2020年12月時点)。海外売上⾼⽐率・海外⼦会社従業員⽐率がともに7割強に及ぶグローバルカンパニーでもある。

AGCが研究対象になった理由

本書によれば、AGCでは現会長の島村琢哉氏が2015年1月にCEOに着任するまでの4年間、業績が振るわず、社内の雰囲気は沈滞していたという。具体的には、2010年度(12月期)に史上最高益(連結営業利益2,292億円)を出して以降、4期連続で営業利益が下降線をたどり2014年度には621億円にまで落ち込んでいた(売上高は1兆3,483億円)。理由は、コア事業であるガラス事業の伸びが、生産技術のコモディティ化や国際競争の激化によって頭打ちになったためだ。

そんな状況を打開すべく島村氏が取り組んだ組織変革が、まさに「両利きの経営」を実現するための組織開発だった。この取り組みの奏効によってAGCでは従来からあるコア事業の収益を維持しながら、エレクトロニクスとライフサイエンス、そしてモビリティという3つの領域で新事業(戦略事業)を立ち上げ、軌道に乗せた。結果として業績も好転し、2019年度には売上高1兆5,180億円、営業利益1,016億円を達成している。

2020年度は新型コロナウイルス感染症の流行によってコア事業であるガラス事業・化学品事業が減収減益となり、連結の売上高は1兆4,123億円、営業利益は758億円にとどまっている。ただし、AGCによれば戦略事業はコロナ禍の影響を受けず業績を拡⼤させ、2020年度における3つの戦略事業の売上高は2017年度の約2倍に当たる2,022億円を達成しているという。こうしたことからAGCでは2021年度には連結で1兆6,700億円を売り上げ、1,800億円の営業利益を出すとの強気の見通しを立てている。

本書の著者らは、こうしたAGCにおける組織変革の取り組みに興味を抱き、2018年10月と2019年2月の2回にわたり、AGC本社を訪れ、島村氏をはじめとする当時の経営陣や事業責任者にインタビューを行った。それを基にオライリー氏とウリケ・シェーデ氏(カリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル政策・戦略大学院教授)がビジネスケースを作成し、それに加藤氏がケース解説や組織開発・実践論を付加するかたちで出来上がったのが本書であるようだ。その全体は下記の6章から成る。

  • 第1章 いま必要な組織経営論
  • 第2章 AGC、変革への挑戦――戦略と組織を一体として変える
  • 第3章 両利きの経営――成熟企業の生き残り戦略
  • 第4章 組織はどのようにして変わるのか――アラインメントの再構築
  • 第5章 組織開発の本質――トップダウンとボトムアップの相互作用を作り出す
  • 第6章 脱皮できない蛇は死ぬ――日本企業のための組織進化論

このうち2章から4章がAGCの事例に基づく記述であり、AGCによってどのような組織変革がいかにして遂行され、それが両利きの実現にどうつながったかが詳細に解説されている。ちなみに、著者らのインタビューを受けたAGCの経営陣の一人で、当時CTOだった平井良典氏は2020年1月に島村氏の後を継ぐかたちでCEOに就任している。

変化の時代に生き残るための一手を知る

AGCの事例を中心に解説が展開されることから、本書を読み進めていく過程でAGCのサクセスストーリーの解説本を読まされているような錯覚に陥る方もいるかもしれない。ただし言うまでもなく、本書の主眼は、AGCの成功を喧伝することではなく「両利きの経営」を実現するために組織をどう変化、あるいは進化させていけば良いかを、オライリー氏の組織経営論をもとにしながら解説することにある。AGCの事例は、その目的を果たすための題材として活用されているわけだ。

本書によれば、オライリー氏の組織経営論は「事業環境の変化に適応できない組織は死ぬ」ということを大前提にした「組織進化論」であり、組織進化の起点は、経営トップが自社の存在目的(=なぜ、自分たちは存在するのか)を明確に打ち出すことであり、その存在目的を達成するために「何を、どのような組織で遂行するのか」の「戦略」と「組織のあるべき姿」を描くことが重要であるという。そして、戦略遂行の組織能力を生むために、組織を成す4つの要素「KSF(Key Success Factor:成功のカギ)」「人材(知識・経験・スキル)」「公式の組織(組織体制・評価・手順)」「組織カルチャー(仕事のやり方・仕事に対する姿勢)」の「アラインメント(結合)」を、経営と現場が一体となって再構築することが組織進化には必要であるとする。

とはいえ、環境変化のスピードが加速している今日では、時間をかけて組織全体のアラインメントを再構築している時間的なゆとりはない。ゆえに、成熟企業は既存事業に適した組織のアラインメントを保ちながら、新規事業の探索に適した新たな組織のアラインメントを築く必要があり、それが「両利きの経営」を基本的な考え方であるとする。

本書では、この「両利きの経営」の考え方を、既存事業を維持する(深掘りする)ために必要な組織能力と、新規事業を創出する(新たな事業機会を探索する)ために必要な組織能力という、相反する2つの能力を持った組織を併存させることとも表現する。

そのうえで、相反する2つの能力を持った組織を併存させるためには、既存事業を深掘りする側(既存側)と新たな事業機会を探索する側(探索側)とをつなぐ大きなビジョンと戦略意図が存在しなければならないという。また、組織のデザインとして、既存側と探索側の事業ユニットが分離されていることが必要とされるものの、一方で、探索側が既存側の資産や能力を活用できるよう特定の部分で統合されていることも、両利きの経営を支える組織(両利きの組織)の要件であるようだ。今日、新事業を創出する組織が既存事業を推進する組織から切り離された“出島式”で形成されるケースがよく見受けられるが、この方式をとると“出島”の組織が既存事業を推進する組織の反発を受けて協力が得られず、新事業の立ち上げがかなり困難になることが多いという。

もっとも、部分的に統合されていても、既存側と探索側との間には一定の緊張関係やコンフリクトが生まれるのが常である。ゆえに、その問題を自律的に解決できるリーダーの存在も「両利きの組織」には必要であると本書では指摘している。

上記のような両利きの組織の要件をAGCはすべて満たしており、そのためにどのような組織変革の努力や取り組みがあったのかが本書には細かく記されている。実のところ、著者らの組織経営論はなかなか難しく、理論だけを語られても、理解に苦しむところがある。それが本書では、AGCの事例とセットで理論が語られているために、理論に対する理解が早く、また、理論をどう実践すべきかのハウツーもつかみやすくなっている。

本書が指摘するとおり、テクノロジーの進化と発展により、事業環境の変化は激しさを増しており、創造的破壊がさまざまな事業領域で起きている。加えて、新型コロナウイルス感染症の流行により、ほぼすべての事業の先行きが見通しづらくなっている。そうした中で、既存事業の維持・改善だけでは会社の存続は難しいとの危機感を募らせ、変革のためのヒントを得たいと考える経営層や現場のリーダーの方は増えているはずである。そうしたリーダー層にとって、本書は一読の価値はあると言えそうである。

著者:加藤雅則、チャールズ・A・オライリー、ウリケ・シェーデ
出版社:英治出版
出版年月日:2020/3/5

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