コロナ後の世界を世界経済フォーラム会長が見通す
本書は、世界経済フォーラムの創設者兼会長のクラウス・シュワブ氏とオンラインメディア『マンスリー・バロメーター』の代表ティエリ・マルレ氏が、コロナ(新型コロナウイルス感染症)の流行という大規模パンデミックによって世界がどのように変化していくかを「マクロ」と「ミクロ(産業、企業、個人)」の視点から見通した書籍である。インターネットなどの発達により、相互依存性とスピード、そして複雑性を増していた世界に対して、コロナ禍がいかなるインパクトを与え、「経済」「社会的基盤」「地政学的状況」「環境」「産業」「企業」「個人」を変えることになるかが具体的に語られている。
本書について結論から先に言えば、コロナ終息後における世の中の変化に対して漠然とした不安を抱いている方や、なぜ、多くの企業がデジタルトランスフォーメーション(DX)を急ぐ必要があるのかを知りたい方、あるいはビジネスパーソンとしてアフターコロナの時代をどう生き抜いていくべきかを決めあぐねている方には、かなり参考になる一冊と言える。
もちろん、本書に記されている近未来予測がすべて正しいとは限らない。実際、本書の予測は2020年6月時点のものであり、その後の状況は反映されていない。また、コロナ禍の動きを予測するのは至難であり、かつ、さまざまな事象が複雑に絡み合う今日の社会では、10カ月先を見通すのですら難しいといった“エクスキューズ”も本書の各所に出てくる。とはいえ、データと歴史、著者たちの知見に基づいた本書の予測・見解には説得力があり、納得のゆくものでもある。また本書に示されている多くの予測が、読者の読みと一致するのではないだろうか。
世界はコロナ以前には戻らない
本書の全体は、コロナ禍によって高い確率で起こりうる「近未来の事象」を示したうえで社会や企業のあり方、さらには個人のマインドセットをリセットすることの大切さを訴えるという構成を採用している。
では、本書が予見する近未来とはどのようなものなのか──。詳しくは本書をお読みいただくとして、以下では、いくつかの予測のエッセンスを紹介する。
まず、本書では、コロナ禍の影響が2022年まで続くと想定しており、当然、この間はどの国も本格的な経済復興はありえない。そして、世界経済は第二次世界大戦以降で最悪の状況にあり、2020年における大幅な落ち込みを挽回するかたちで2021年には若干の揺り戻しが期待できるものの、それは短期間で終わり、以降は(コロナ以前の数十年間に比べて)きわめて低水準での成長が長く続くという。
これにより、大多数の国が、パンデミック以前の規模に経済を戻すのに何年もの期間を要し、結果として、多くの国で失業率が高止まりし、貧困が広がり、財政が破綻する国も多く出てくる可能性が高いと予測している。
しかも、コロナ禍がもたらしたシャットダウン(国家・都市・施設などの封鎖・閉鎖)によって世界は分断され、ほとんどの国が内向きとなり、多くの国で国家保護主義勢力が発言力を強めているという。そのため、立場の弱い貧しい国々への物資の供給が滞り、それらの国が医療の崩壊や深刻な食料難に見舞われるリスクも大きくあるという。
さらに本書では、コロナ禍は、コロナ以前からの問題だった不平等や貧富の二極化、人種問題を顕在化させ、深刻化させたと指摘している。
例えば、米国では、コロナ感染者の致死率においてアフリカ系アメリカ人が圧倒的に高く、失業率も白人に比べてアフリカ系アメリカ人のほうが高いという。これは、アフリカ系アメリカ人が白人に比べて労働条件の悪い職場で働いていたり、能力に見合わない仕事に甘んじていたりするケースが多く、かつ、住環境も悪く、感染によって重症化しやすい持病を抱えている人が多数いるためと本書は指摘する。同じく米国では、2020年3月と4月の2カ月間で3,600万人以上が職を失ったが、多くが立場の弱い非正規の労働者だったという。
また、コロナ禍が終息へと向かい多くの企業が事業復興のために動き始めると労働者の賃金が上昇する。このとき、雇用主が労働コストの上昇を抑えることを主眼にオートメーション化を推し進めると、単純労働に従事してきた非正規の、そして賃金の低い多くの労働者が職にあぶれ、貧富の格差がますます広がることになると本書では警鐘を鳴らす。
さらに、英国では、介護士の60%がゼロ時間契約で働かされ、食品工場の労働者も多くが臨時雇いであり、配送ドライバーに関しては労働時間の大部分について配送件数に応じて支払われ、疾病手当も有給休暇もないとされる。つまり、コロナ禍の下、自分の身を危険にさらしながら人々の命をつないできた人たちが、何の保証もない中で働かされ続けているというわけだ。
このような状況に対して本書は、人々の生活に不可欠で本質的な価値のある仕事に対して、それに見合う報酬が支払われておらず、セーフティネットも張られていないと非難する。しかも、一方では、お金を動かすだけのトレーダーやヘッジファンダーが高額の報酬をもらっている──。コロナ禍はこうした社会の不平等や、先に触れた人種問題を浮き彫りにし、社会から不当に扱われてきた人たちの怒りを増長させているという。その怒りがやがて暴動の発生といった社会の混乱・不安につながるリスクがあり、そのリスクは米英のように国は豊かなものの連帯意識が弱く、人種問題・階級意識が根強く残り、富(とみ)の分配がいびつで、セーフティネットが十分に張られていない国や、コロナ禍によって破綻の危機に直面する貧困国で高いという。
このほか、本書が示す産業・企業・社会の主な見通しをまとめると次のようになる。
- グローバルガバナンスの機能不全が深刻化する:
かつては米国が世界の秩序を保ってきたが、中国の台頭と米中両国の対立により、グローバルでリーダーシップを握れる国が不在となり、コロナ以前から世界の「無秩序」が問題視されていた。コロナ禍は、米中対立を一層深めて、世界の無秩序/分断を進行させ、世界各国が一致協力してコロナ禍を封じ込めなければならなかったにもかかわらず、国家間で医療器具を奪い合うなど醜い争いを露呈させた。コロナの危機が去ったのちもこの状態が続けば、世界はより貧しく、卑しく、より小さく萎む方向に向かう。 - 企業のDXが加速する:
ロックダウン、ソーシャルディスタンス/フィジカルディスタンスの流れの中で、働くことはもとより、すべてをリモートでことなすことが、人々にとって当たり前になった。その生活様式のほとんどは元に(コロナ以前の状態に)戻らずDXの推進は企業にとって不可避の取り組みとなる。また、DXの推進など、創造性を働かせながら変革に取り組むことで、企業はコロナ禍を新たな飛躍のチャンスに変えることが可能となり、逆に、ビジネスや働き方、運営の新しい方法を試さず、昔のやり方に戻ろうとする企業は失敗に終わる。 - グローバルサプライチェーンが後退する:
ロックダウンとそれを契機にした各国における内向的な動き、あるいは国家保護主義的な動きにより、製造企業のグローバルサプライチェーンは分断され、国内回帰を中心にしたサプライチェーンの短縮化とレジリエンスの強化が進む。結果として、製造企業は規模と利益の縮小を余儀なくされ、生産効率を可能なかぎり向上させるためにDXが猛烈な勢いで進展する。 - 産業の盛衰が鮮明になる:
コロナ禍によってテクノロジー(ICT)、製薬・医療・健康に関連する産業は一層力をつけ、一方で、飲食などの接客サービス系の産業やスポーツ/娯楽施設、旅行、ホテルは大打撃を受けた。大打撃を受けたこれらの産業はコロナ禍の終息後も、顧客数の減少や生活者の消費意欲の減退、事業運営コスト(ソーシャルディスタンスの確保といった衛生面の配慮に対する支出)の増大に苦しめられ、倒産も増え、コロナ以前の状態に戻るまでに数十年のときがかかる可能性が大きい。同様に、ビジネス客の減少が予想される航空(空輸)産業も縮小やビジネス転換を余儀なくされ、エネルギー産業も、コロナ禍が強めた環境保護に対する社会の要請によって厳しい戦いを強いられる。先進諸国の不動産業界も、リモートワークの潮流の中で都市部におけるオフィスビルの価値が大幅に下がり、事業戦略の見直しを迫られる。 - 監視社会の是非を問う議論が続く:
コロナ禍の下、ICTによって人々の行動を追跡・監視することの是非を巡る議論が活発化した。この議論に終わりは見えず、これからも長く続くことになる。
新自由主義から決別し、世界の幸福に向けて行動を起こす
上の記述からもわかるとおり、本書が示すアフターコロナの世界はバラ色の未来ではなく、いま、各国の政府や企業、そして個人が行動を起こし、社会をリセットしなければ、きわめて深刻なダメージを受けるという。
なかでも、政府が果たすべき役割と責任は重大であると本書は指摘する。というのも、コロナ禍が市場に与えた負のインパクトはあまりにも大きく、多くの産業・企業が政府の援助・介入なしでは立ち行かなくなっているためだ。
ゆえに、先進諸国でもすでに「大きな政府」が復活しており、政府が経済を制御する時代に突入している。だからこそ、政府は、公的資金で援助した企業の動きを精査しながら、経営層に自社の利益だけを追求させるのではなく、雇用の確保を含めて公益を追求させる方向に向かわせることが大切であるとする。加えて、医療保険制度やセーフティネットの整備、不平等の是正と富の適切な配分などに力を注ぎ、併せて、自国の利益や経済(GDP)成長ばかりを追求するのではなく、各国と手を結び、環境保護など、人類全体の健やかな生活や幸せを追求すること──いわば、SDGs(持続可能な開発目標)を継続して推進することが未来を切り開くカギになるとしている。
企業についても同様に、従業員、顧客、社会という全ステークホルダーの幸せを追求し、併せてSDGs、ないしはESG(環境、社会、ガバナンス)対応を積極的に行うことが必須になるという。理由はシンプルで、コロナを経験した人々は、従業員や社会全体の安全で健康的な暮らしや環境を守ろうとしない企業を信頼・信用しないからである。
本書によれば、米英が信奉してきた新自由主義(=連帯や政府介入よりも競争や創造的破壊を、社会福祉よりも経済成長を重んじるような概念・政策の集成)を土台にする政策や「市場崇拝」は、コロナ以前からビジネス界/政界の多くのリーダーからの批判を受けて力を失いつつあったという。その新自由主義にコロナ禍がとどめを刺し、すべての国が新自由主義と決別する時期を迎えていると本書は説く。また、米英両国がコロナ感染による死者を世界の中で最も多く出し、新自由主義の本質的な問題点を露呈させたことも、同主義の終焉が早まった一因でもあるようだ。
このように書くと、本書が経済成長を否定していように聞こえるかもしれないが、そうではなく、成長による恩恵の配分に偏りがあることを問題視しているに過ぎない。
また、働く意欲のある人を保護することは最終的には消費の拡大へとつながり、人種で人を区別するという、人と人との対立しか生まない無益で無意味な行動を排除することで社会不安を抑止し、経済の立ち直りを早めることも可能になるという。さらにデジタルテクノロジーを、人減らしの道具ではなく、企業やビジネスを変革する力、あるいは人の能力・創造性を増幅する力として活用すれば、ニッチな新しいビジネスがさまざまに形成され、数多くの雇用が創出される可能性もあるようだ。
そして、各国の政府が、地球上のあらゆる国が同じ船に乗り、運命をともにする同志であるとの認識を強く持ち、連帯感を強めて、秩序を取り戻し、全人類の幸せに向けて一致協力すれば、アフターコロナの世界はコロナ以前よりもよくなると本書では訴える。言い方を換えれば、コロナ禍はこれまでの間違いを正し、あるべき未来へと自分たちをリセットできる千載一遇のチャンスでもあるというわけだ。
おそらく、これらの主張は、主として米英(特に米国)に向けられたものであり、著者たちが本書を“緊急出版”のかたちで刊行した大きな意図として、米国における大統領選前に米国社会に“リセット”を訴えかけるという狙いがあったと思われる。
ただし、そうした意図がどうあれ、日本人にとっても、本書のリセットの訴えかけには共感できる部分が多くあるはずである。ちなみに、本書の2人の著者は、日本に対する評価がかなり高いようで、日本は連帯意識が強く、貧富の格差も小さく、自然を大切にし、バブル崩壊以降は贅沢を特に好まず、かつ、贅沢をせずとも幸せに生きられること、あるいは、幸せに生きるためのすべを知っており、ゆえに各国は日本から学ぶべきことが多くあるとしている。
日本でも、過去20年の間で貧富の格差が広がり、貧しさゆえに学習の機会を奪われる子どもたちが増え、加えて、コロナ禍の下、命を賭して働いている看護師の報酬(賞与)が病院の経営状況の悪化で減らされてしまうといった、にわかには信じられないような事態も起きている。加えて、2020年11月以降は、コロナ禍の猛烈な波に改めて襲われ、医療崩壊の危機にも直面している。
そのような状況を加味すると、本書の日本評は“過大”と見なすことができるが、それでも世界最高レベルとされる医療保険制度を維持し、完全失業率も主要先進国の中で最も低い水準(2020年11月時点で2.9%)をキープしている日本(*)に対しては、日本人が想像する以上の期待感が世界の識者の間にはあるのかもしれない。
実際、日本は他の主要国に比べたDXの遅れを指摘されるが、その遅れも今日のテクノロジーをもってすれば、かなりスピーディにキャッチアップすることができる可能性が大きい。しかも、日本は中国と米国との関係も深い。その点で日本は、世界秩序を復活させるリーダーシップを発揮して然るべき国の一つであるとも言える。したがって、本書の言うリセットによって、コロナ禍によって顕在化/深刻化した日本社会のひずみや課題を正し、かつ、世界への貢献に本腰を入れて取り組めば、高度経済成長期とはまた違った輝きを世界に向けて放てる可能性がありそうである。