Summary

2019年11月8日、Scrum Inc. Japanが主催するワークショップ型カンファレンス「Scrum interaction 2019」が開催され、“スクラムの祖父”とされる野中郁次郎氏が、「ヒューマナイジング・イノベーション -共感の経営-」と題した講演を行った。そのエッセンスをお届けする。

デジタル時代の経営テーマは“顧客重視”と“社員重視”

一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏は、旧日本軍が陥った失敗を組織論的見地から扱ってベストセラーになった『失敗の本質』(ダイヤモンド社/1984年)の共著者として広く知られる人だ。また、同氏の論文「The New New Product Development Game(邦題/新しい新製品開発ゲーム)」にヒントを得たジェフ・サザーランド氏が1993年にスクラムを開発したことから、スクラムの“祖父”とも呼ばれている。

そのスクラムのイベント「Scrum Interaction 2019」(主催:Scrum Inc. Japan)に登場した野中氏は、デジタル時代の企業戦略の動向と併せて、人を中心に据えた“共感の経営”について概観した。

同氏はまず、最近参加したアダム・スミスに関するカンファレンスについて触れ、企業経営のテーマに大きな変化が見られていると指摘する。

「変化の一つは、企業の多くが、株主価値の最大化よりも、顧客と向き合うことのほうを重視するようになった点です。これは要するに、今日のデジタル時代では、顧客の変化にいかに対応するかが経営上の最重要テーマになりつつあることを意味しています」

また、アダム・スミスに関するカンファレンスでは、社員を大切にすることの重要性もしきりに唱えられていたという。

「経営の資源をダイナミックに生み出す主体は人間です。ゆえに、人間特有の能力である“共感”をベースに、新しい価値を短期・長期の両面で持続的に生み出していくことが大切であり、世の中の変化が激しさを増す中で、その重要性が以前にも増して高まっています。実際、イノベーティブな企業であり続けるためには、“共感”を土台にした人間主義の経営が必要です。つまり、共感を起点にした“ヒューマナイジング イノベーション”が必要とされていて、それが引き起こせる経営への転換が、すべての企業に求められているということです」(野中氏)。

組織的知識創造モデル「SECI」

野中氏によれば、共感は、組織的知識を創造するうえでの起点でもあるという。その共感を起点にした組織的知識創造の原理をモデル化したものが、野中氏の考案した「SECIモデル」である。

SECIモデルは、「共同化(S)」「表出化(E)」「連結化(C)」「内面化(I)」という知的創造の4つのプロセスで構成される。「共同化」では、直接体験を共有し、暗黙知を生成するという「共感」がポイントとなる。「表出化」では暗黙知を言語化して概念を生み出し、「連結化」では、デジタル技術も徹底的に総動員して、この概念と他の知をつないで理論や物語にし、「内面化」ではモデルや物語を実践し、暗黙知を体現していくという、個人から集団、そして組織や環境を包含するイノベーション・プロセスである。

「アジャイル・スクラムの考え方は、知的機動力そのものだと思っています。知的機動力とは共通善(コモングッド)に向かって知識を俊敏かつダイナミックに創造、共有、練磨する能力です」と、野中氏は言う。

知的機動力経営の3つの基盤

知的機動力経営は大きく3つの基盤から成る。それは「共通善」と「相互主観性」、「自律分散系」の3つだ。

「このうち“共通善”は、日本の“三方良し”の考え方でもあるとも言えますし、京セラの社是“敬天愛人”やエーザイの“ヒューマンヘルスケア”といった標語に通底している考え方とも言えます」(野中氏)。

また、2つ目の「相互主観性」とは、人同士が共感し合うときに成立する、自己の主観を超えた『われわれの主観』であるという。

「例えば京セラでは、経営理念の共有と“身体化”を進める『コンパ経営』を実践しています。これを平たく言えば、経営陣と社員たちが、特定のテーマの下で呑みながら、オープンに意見を交わして、“われわれの主観”を形成していく試みです。この試みよって、身体の中に対話を通じて理念が染み込んでいき、知識と知識が重層化され、理念の共有と身体化が進みます。結果として、全員が意識しないでも、同じ考え方の下で行動できるようになるというわけです」(野中氏)。

ところで、なぜ“コンパ”なのだろうか─。この点について、野中氏は、「共感を形成するような場では、やはり、お酒が必要なようです(笑)」と語り、続けて「しかも、大切なポイントは膝つきあわせて座敷で呑むこと。こうして畳の振動を感じながら意見を交わしていると、身体に相手の意見が染み込みやすい。ちなみに、京セラの『コンパ経営』の場では、テーブルごとに、スクラムマスターのようなまとめ役が配置され、テーブルで話し合われた内容をのちに明文化して、発表し、全員と共有化しなければなりません。ゆえに酔えない。私はそんな役回りは絶対にイヤです」と笑う。

さらに、著名な企業の創業者には、トヨタにおける豊田喜一郎氏と大野耐一氏、ソニーにおける盛田昭夫氏と井深大氏、アップルにおけるウォズニアック氏とジョブズ氏のように、「クリエイティブ・ペア」ともいうべきペアが数多く存在する。「これも、互いの存在を認め合うこと(感覚の共有)によって、共感による相互主観を作り上げた例と言えます」と野中氏は指摘する。

さらに3つ目は「自律分散系」の組織体制である。野中氏の著書『失敗の本質』にもあるように、官僚制のような組織は、判断を間違えると間違った方向へと猛進しやすい。それに対して、個々の組織が全体を体現するようなフラクタルな組織は判断と進むべき方向性が修正しやすく、個々人の力を結集しやすいという。

そして、個人の知を集合知へと昇華する組織的知識創造の原理がSECIモデルであり、それがアジャイルにおけるスクラムの根幹を成してもいる。

「SECIモデルは日本企業研究から生まれたもので、もともとはソフトウェア開発のために考案したモデルではありません。それを、ジェフ(ジェフ・サザーランド氏)がソフトウェア開発の現場に持ち込んだ。私自身は、今でもPCはおろか、スマートフォンさえ使えないIT音痴で、ソフトウェア開発のことは一向に分かりません。ただし、スクラムプロセスが素晴らしい手法であることは理解できます」(野中氏)。

戦略とは生き方を問うものであり、実践する物語

野中氏は、アジャイルのスクラムについて「理論ありきではない点がすばらしい」とする。

「戦略の本質は、ヒューマナイジング・ストラテジーです。絶えず変化する現実の中で、一人ひとりが共感し合い、語り合いながら、言葉をつないでいく。戦略とは生き方を問うものであり、人の内面に働きかけ、実践を促します。ただし、現実は絶えず変化しているので文脈に応じて、物語は変化してきます。ゆえに、戦略における新しい意味づけ、価値づけを、共感し合う人間たちで考え、新たな物語を紡いでいくことになります」(野中氏)。

それこそが「物語戦略」である。物語戦略とは、筋(プロット)と行動指針(スクリプト)で構成される。プロットは一貫性を持った出来事の組み立てと時間の設定を行うもので、スクリプトは筋を実行する際の典型的な行動指針となるものだ。実際の企業での事例としては京セラがある。

京セラでは、物語の筋(プロット)としての知識体系を樹形図で示しながら、76項目の京セラフィロソフィーを「生き方のスクリプト」として社員に詳細に提示している。

このようにして、自社で働く社員にその企業人としての生き方を示し、共感・共有・体得してもらいながら、各人の持つ潜在能力が開放することで、ヒューマナイジング イノベーションが引き起こされる。そのイノベーションに取り組む意義を示す一節として、野中氏は、サザーランド氏の次の言葉を引用する。

─ チームが1つにまとまり、シンクロし始めると魔法にかかったようになる。意欲を引き出す適切なフレームワークを用意し、自分たちで仕事を進める自由と権限を与え、それを尊重する姿勢があればいい。卓越した境地は外から与えられるものではない。内側から生まれなくてはならない。

さらに、野中氏は、今後の企業経営は「あれかこれか」の二項対立型から、「あれもこれも」の二項動態型へと変化していくとし、次のように講演を締めくくる。

「暗黙知と形式知、感性と知性、アナログとデジタル、安定と変化は、それぞれ相互補完の関係にあり、対立しつつも一つの事象の中で共存しえます。したがって、二項の動態をとらえ、全体の調和を追求することが重要です。この調和は、現実問題と全人的に直接向き合い、試行錯誤を繰り返すことで見えてきます。このダイナミックで変化に富んだ経営を実現することで、組織的なイノベーションが可能になるはずです」

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