アトラシアン本社の情報サイト『WORK LIFE』より。ライターのケリー・マリア・コーデュッキ(Kelli María Korducki)が、労働者の心身の健康を保護するうえで「つながらない権利(Right-To-Disconnect)」を認めることがなぜ重要なのかについて説く。
本稿の要約を10秒で
- 「つながらない権利(Right-To-Disconnect)」とは、勤務時間外に仕事上のコミュニケーションへの応答を拒否できる権利を指す。
- 米国カリフォルニア州では労働者の「Right-To-Disconnect」を認める法案が提出された。また、米国以外の13カ国では同様の法律がすでに制定されている。
- 「Right-To-Disconnect」を法的に認めることは、労働者の心身の健康を良好に保つうえで有効だが、一方で、リモートワークの柔軟性を損なわせるリスクがある。
「つながらない権利(Right-To-Disconnect)」とは
現代の職場は、かつてないほど柔軟になっている。労働者(主にナレッジワーカー)の働く場所に相応の自由度が確保され、企業内の組織・チームがリモートに分散した人員で構成されることも珍しくなくなった。
このように「リモートワークが当たり前」の時代において浮上してきた問題の1つが、仕事上の「オン」と「オフ」の境界線が曖昧になったことだ。かつてのようにオフィスへの「出勤」を前提にした働き方の場合、1日の仕事を終えて上司や同僚たちに「お疲れ様」と一声かけて、オフィスから退出した時点でオフになる。そのオンとオフの境目は明確であり、ゆえに、労働者たちは心の状態をオンからオフへと切り替えやすかった。また、周囲の人間も、オフの状態になった(=仕事を終えて退出した)同僚や部下に、仕事上の連絡を入れ、すぐさまレスポンスを求めるようなことは避けようとしていた。
それに対して、リモートワークを中心にした働き方の場合、ともに働く上司や同僚、あるいは部方たちが、オンの状態にあるのか、それともオフの状態にあるかが見えづらくなる。しかも、リモートワークにおける「勤務時間」や「勤務のあり方」、あるいは「コミュニケーションのあり方」について明確なルールを敷いている組織・チームは少ない。また、労働者自身も(大抵の場合)、リモートワーク時における自分のオンとオフの線引きを曖昧にしている。
結果として、例えば、組織・チームのリーダーが、オフの状態にあるメンバーに対して仕事上の連絡を入れ、速やかなレスポンスを求めてしまうことが多くなる。結果として、メンバーたちは、いかなるときでも、受け取った仕事上の連絡に即座に返答しようとするのである。
このような状況は、決して健全なものではない。実際、労働者たちは、勤務時間外であっても常時、メールやチャットをチェックしていなければならず、それによって精神的な疲労、ストレスがたまっていく。そんなリモートワークの負のスパイラルを断ち切るべく、米国カリフォルニア州議会の議員たちは、勤務時間外において仕事上のコミュニケーションを遮断できる権利を労働者に認める法案(参考文書(英語))を提出した。それが「つながらない権利(Right-To-Disconnect)」を認める法案(以下、「RTD法案」と呼ぶ)である。
これと同様の法律は、スペイン、ポルトガル、アルゼンチンを含む世界13カ国ですでに制定されているが、カリフォルニア州議会でRTD法案が成立すれば、米国では初のケースとなる。
このRTD法案が成立し、施行されることで、カリフォルニア州の労働者たちは、緊急時を除き、勤務時間外に上司や同僚からのメッセージを無視する権利を法的に得ることになる。また、この法案では、雇用主が従業員の(リモートワーク時を含む)勤務時間を文書で明確に定めることを義務づけている。さらに、上司から勤務時間外のコミュニケーションを常習的に要求されている労働者は、カリフォルニア州労働委員会に苦情を申し立てることができる。仮に、その申し立てが受理された場合、雇用主には罰金が課されることになる。現在、世界における就労の現場では「仕事のストレス」(参考文書(英語))と「燃え尽き症候群(バーンアウト)」(参考文書(英語))が過去最悪のレベルに達しているという。そうしたなかで、上で触れたような法律が制定されるのは良いことといえるだろう。また、こうした法律が定められることは、各国の雇用主に対し、自社におけるビジネスコミュニケーションのあり方を改めて吟味して評価し、必要に応じて修正を加える機会を提供するものでもある。
RTD法のメリットとデメリット
カリフォルニア州におけるRTD法案の成立は、間違いなく労働者の心身の健康に好影響を与えるだろう。実際、労働者の慢性的なストレスは、バーンアウトをはじめ、欠勤、生産性の低下につながることが数々の研究を通じて証明されている。ゆえに、RTD法のような、労働者のプライベートな時間を保護するガイドラインを確立することは、雇用主にとってとても重要であり、それによって労働者は、職場における「有害な期待」を排除し、心身の健康を良好に保つことが可能になる。
実際、各国の企業を見渡すと、労働者のプライベートな時間を保護する取り組みによって相応の成果を上げているところがすでにある。その1社が、職場における応急処置のトレーニングコースを提供している英国のFirst Aid at Work Course社(参考文書(英語))だ。同社の人事担当ディレクターであるデレク・ブルース(Derek Bruce)氏は、自社における取り組みの成果についてこう述べている。
「当社では、勤務時間外は仕事の通知をオフにするよう従業員に求める制度を試験的に導入しました。その結果、従業員の月間の病気休暇が 10% 減少し、かつ、彼らの士気が明らかに向上したのです」
米国フロリダ州で労働者の権利を擁護する活動を展開している人事コンサルタントのブライアン・ドリスコル(Bryan Driscoll)氏(参考文書(英語))は、RTD法のような法律は、労働者のみならず、その雇用主にも相応のメリットをもたらすと指摘している。
「従業員のワークライフバランスを重視し、それを良好に保つ努力を払うことで、彼らの疲労感を和らげると同時に、彼らに『会社から大事にされている』と感じさせることもできます。これにより、従業員の生産性や組織へのエンゲージメント(能動的な貢献意欲)は高まり、それが組織文化全体の改善へとつながっていきます」(ドリスコル氏)
一方、カリフォルニア州のRTD法案には、いくつかの問題を発生させる可能性もある。その点について、同州に拠点を置き、IT企業の幹部社員の多くを顧客として擁するキャリアコーチ兼メンタルヘルスのエキスパート、カイル・エリオット(Kyle Elliott)博士(参考文書(英語))は次のように指摘している。
「RTDに関する法律には、リモートワークにおける働き方の柔軟性を損なわせるリスクがあります。例えば、カリフォルニア州でRTD法案が成立し、施行された場合、おそらく一部の雇用主は、同法の『精神』ではなく『文言』に従ったかたちで組織運営の方針を決定するはずです。そして、リモートワークにおける勤務時間を厳密に規定し、すべての従業員にその規定への順守を強制するようになるでしょう。ただ、リモートワークの良さは、働く場所のみならず、働く時間帯も柔軟に選べる点にあります。RTDを法律として定めることには、そうした柔軟性を損なわせる可能性が大いにあるのです」
さらに、カリフォルニア州でRTD法が施行されれば、同州に本拠を構える企業は、その法律に則ったかたちで働き方やビジネスコミュニケーションのルール、ないしはポリシーを変更し、他州の拠点や自宅で働く人員を含めて、全従業員にそのルール、ポリシーへの順守を徹底させなければならなくなる。
この辺りの問題点について、米国ロサンゼルスで労働者のウェルビーイングコンサルタント兼公認心理療法士として活躍しているトポジエ・ヴァンデンボッシュ(Topsie VandenBosch) 氏(参考文書(英語))は「RTD法のような法律は、従業員たちが、その法律に則った働き方をしているかどうか、あるいは、上司たちがコンプライアンス違反をしていないかどうかを常にモニタリングする義務を雇用主に課すものです。また、雇用主は、その責務を果たすために新たなシステムを構築する必要も出てくるはずです。要するに、RTD法へのコンプライアンスを徹底させるうえでは、企業は相応の課題を乗り越えなければならないということです」と指摘している。
プライベートライフを尊重する規範を確立させるために
カリフォルニア州がRTD法案を成立させるかどうかにかかわらず、組織・チームのリーダーは、メンバー全員の心身の健康を維持・向上させるために、各人のプライベートライフを尊重する規範を確立しなければならない。専門家たちは、そのための具体的なガイドラインを提示している。本稿の最後として、それらのガイドラインを3つにまとめて紹介する。
ガイドライン① 勤務時間外コミュニケーションに関する明確な手順を確立させる
組織・チームのメンバーにストレスをかけるのは、勤務時間外のビジネスコミュニケーションが明確なルールやポリシーがないままに頻繁に発生してしまうことである。「それを避けるうえで大切なのは、勤務時間外のビジネスコミュニケーションに関して、明確な手順を確立させることです」と、ブルース氏は指摘し、次のような説明を加える。
「例えば、緊急時以外の勤務時間外コミュニケーションには、メールやチャットなどの非同期コミュニケーションツールを優先的に使うようにするのが適切です。そのうえで、組織・チームのリーダーは、常にメンバーのプライベートライフを尊重し、緊急時を除き、夜遅くにメンバーにメールなどを送らないようにしなければなりません。また、メンバー各人は、勤務時間外でメールやチャットのメッセージに対応可能な時間を明確にし、チームの全員と共有しておくと良いでしょう」
ガイドライン②「行動」よりも「成果」を優先させる
組織・チームのリーダーのなかには、メンバーによる即時レスポンスや即断即決を過度に重視する人たちがいる。ただ、こうしたリーダーの姿勢が、最良の成果を生むわけではない。しかも、このようなリーダーのもとでは、ポジティブで健全な組織・チームの文化は育まれない。ゆえに、ドリスコル氏は「リーダーにとって大切なのは、メンバーの迅速な対応や行動ではなく、最終的な成果を重視する文化を醸成させることです。そうすることで、不必要なコミュニケーションの抑制しながら、業務の有効性を高めたり、成果を上げることに注力したりする組織・チームが築かれるのです」と説いている。
ガイドライン③ リーダーが自ら規範を示す
ヴァンデンボッシュ氏は「組織・チームのリーダーは、不必要なビジネスコミュニケーションや勤務時間外におけるメールなどへの返信を控えるべきです。このようにしてビジネスコミュニケーションの規範をリーダーが自ら示すことで、メンバーたちはそれに倣(なら)うようになります。これにより、組織・チームのなかに互いのプライベートライフを尊重する文化が醸成されていき、各人が心身的に疲弊しない職場環境が築かれていきます」と指摘している。