負けを認めない心が発展を阻む

“ダイバーシティ&インクルージョン”を重視せず、“日本の常識”にとらわれてきた企業は「家族経営」や「身内意識」から脱却できていないところも多いようだ。

本書では、このような企業はグローバル時代を生き抜くことは難しいと指摘する。また、約束手形といった日本独自の決済方法、あるいは銀行融資における個人連帯補償は、世界では許されないものであり、こうした特殊な商習慣が根強く残る日本では、世界を相手にした取引が困難になると批判する。さらに、企業合併の際の「たすきがけ人事」といった日本独特の施策も世界ではまったく通用しないという。にもかかわらず、日本の企業人はそれが奇妙なことであるとの自覚すらないと手厳しい。

「自覚がない」という点では、本書の「特典対談1」において、日本の衰退に対する日本の企業人の無自覚さも批判されている。例えば、日本は過去30年間、中国や他のアジア諸国に比べて経済成長が鈍く、明らかに衰退しているにもかかわらず、それを素直に認めようとしないという。代わりに「日本は良い国である」との妄想を抱き続け、成長・発展の多くの機会を失ってきたらしい。

したがって、そろそろ自分たちは危機的状況にあるとの事実を真正面から受け止めて、現状から脱する努力を払うことが必要であると訴えている。そのためにも、確固とした価値観を持ちながら、多様な価値観を認めていくこと──要するにダイバーシティ&インクルージョンが大切であると本書では結論づけている。

日本に敗者復活の文化を

本書では、ダイバーシティを生かす術(すべ)の一つとして、失敗を許容し、失敗を創造の源泉とする文化を日本の組織・社会に根づかせるべきと主張している。失敗を受け入れて学び成長する、あるいは失敗を恐れずに新しい何かにチャレンジするマインドセットを持つことが、ダイバーシティを自らの力へと転換することにつながるということらしい。

ちなみに、広中平祐氏と著者による「特典対談2」での失敗の許容がテーマの一つになっており、「敗者復活」が可能な社会、失敗を恐れず挑戦できる社会を築けなければ、進歩もないという主張が展開されている。さらに、この対談では、インターネットが発展・普及し、海外の情報が手軽に入手できるようになって以降、若者たちの海外留学意欲が減退し、留学者の数が減っている点にも言及し、筆者と広中氏の両氏がその傾向に懸念を示している。つまり、海外の地で国際感覚を磨いたり、新しい何かにチャレンジしたり、さらには人のダイバーシティを肌身体験したりする機会を減らすことは、若者たちの将来と社会にとって決してプラスにならないというわけだ。

ダイバーシティ&インクルージョンに向けた国策

本書を読み進めていくと、ダイバーシティがいかに大切か、日本の社会がいかにダイバーシティを阻害する要素に満ちているか、そして、このままでは日本は沈没するしかないといった主張が繰り返し登場する。人によっては、その繰り返しに少々辟易する可能性がなくはない。また内容的に既視感を感じる箇所もあるかもしれない。

ただし、本書に既視感を感じる記述が多いことと、著者が国際人であることを重ね合わせて考えると、本書における日本の社会・企業への指摘は、海外の識者や国際人にとっての共通認識であり、きわめて一般的な日本観である可能性が高いとも言える。実際、例えば、世界から見た日本は明らかに落日の国であり、海外のビジネスパーソンや経済人にとって、日本企業のビジネスモデルはもはや興味対象・研究対象ではなくなっているはずである。近年において、日本の企業研究の書籍が海外で出版され、ヒットしたという話も聞かない。

そうした日本の社会が、“ダイバーシティ&インクルージョン”を実現するための一手として、本書は、医療立国になることを提言している。世界最高水準の医療機関を創設して、世界最高レベルの医学者・医師・学生を世界最高レベルの報酬と条件で各国から数多く集める。そうすれば、日本を多様性に富んだ活力ある国に変えることができるという。著者の試算では、この施策は年間1兆2,000億円で実行可能であり、日本の国防予算5兆5,000億円を削れば十分にまかなえるとしている。なぜ、国防予算を削るのかと言えば、医療立国の施策は軍事に依存しない国防政策になるからであるという。

とにかく、これまでとは異なる何かを始めてダイバーシティ&インクルージョンを実現しなければ、本書の著者が言うとおり、日本の社会に明るい未来は待っていないように思えてならない。

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