1. 共感
共感のフェーズとは、思考の対象となるヒトを観察して、理解し、共感することを指している。このフェーズで必要なことは、共感の一点であって他のことは必要とされない。例えば、デザイン思考によって製品を設計するのであれば、ターゲット顧客を理解して共感することが、このフェーズでの作業となる。そして、自分のキャリアと人生のためにデザイン思考を使うのであれば、自分自身を理解して共感することが必要とされる。
『Designing Your Life』の第1章から受けた衝撃を今でも覚えている。その記述によれば、著者2人はスタンフォード大学のデザインスクールで、学生たちに必ず『あなたは、ここにいます』と書かれた看板が教室の外に立て掛けてある意味を問うという。そう、この看板は「デザイン思考は、自分が人生のどの場所にいようとも、前進するのに役に立つ」ということを、生徒に思い起こさせるためのものだったのである。
実のところ、私のそれまでの人生は、さまざまな点で平均的な人よりも遅れていると感じていた。例えば、自分にはパートナーはなく、子どももいなかった。キャリアの階段も上っておらず、自分が身を置くべきコミュニティも形成できていない──。そんな自分に失望感に近い感情を抱いていた。
ところが、デザイン思考におけるデザイナーの視点で自分を見つめなおすと、人生における自分の現在地が人よりも前にあろうと後ろにあろうと問題ではなく、とにかく現在の自分を出発点として、前に進むことが重要であることに気づかされた。
その前進のためにまず必要になるのは「何がうまくいっていて、何がうまくいっていないか」を客観的にとらえ、認識し、書き留めておくことである。このとき、「健康」「遊び」「仕事」「愛」の各領域に分けて、自分がこれまで行ってきたことを評価するのが有効であると『Designing Your Life』では説いている。
ちなみに、仕事を辞めて半年ほどたった頃の私は、ヨガのトレーニングを始めており、通勤のない生活も送っていた。そのため「健康」と「遊び」については高く評価し、逆に「仕事」と「愛」については、求職中でパートナーもなく、家族や親しい友人からも離れて暮らしていたことから、かなり低く評価した。その評価がどうあれ、このようにして自分に対する客観的な理解を深めることは、のちの前進にとってとても有意義である。
2. 定義
定義のフェーズでは、「1. 共感」のフェーズで収集したデータを基にパターンと傾向をとらえ、「問題」の再構成を始動させる。
このフェーズでは、カーネギーメロン大学から提供されている演習シートなどを使い、自分の価値を明確に理解したり、あるいは、これまでの経験を書き留めて(ジャーナリングして)、それらの経験が自分にどの程度の活力を与えているかを評価したりする。この演習は、自分のパターンや傾向をとらえる上で役に立つもので『Designing Your Life』の著者らは、経験を評価とともに記録に残す演習を「グッドタイムズジャーナル」と呼んでいる。
なお、私が定義フェーズに入っているころ、元同僚の紹介によってアトラシアンのプロジェクトで外部のコントラクターとして働く機会を得た。そこで、私は、アトラシアンでの自分の活動のすべてを記録し、評価することにした。
例えば、アトラシアンでの仕事の中で、顧客と対話したり、ブレインストームにアイデアを出したりする作業は実に楽しく、夢中になって取り組むことができていた。それに対して、技術的な議論には一向に興味がわかず、また、背景事情についての理解が不十分なまま、アイデアを実行しているようなときも、熱心になれない自分がいることに気づかされた。一方、私生活においては、友人たちとの対話やヨガの勉強から多くのエネルギーをもらっていた。
このように、自身の観察や活動に対する追跡を続けたことで、自分のパターンや傾向を明確にとらえられるようになった。ただし、それはなかなか骨の折れる作業で、自分に対する相応の好奇心とかなりの忍耐がないと続けられるものではないことにも気づかされた。
3. アイデア出し
アイデア出しのフェーズでは、「2. 定義」で洗い出した傾向とパターンを参考にしながら、自分の前進のためのアイデアを数多く想起する。
ヴィーツェック氏によれば、デザイン思考でのアイデア出しは、「質よりも量」を求めるのが正攻法で、ブレインストームの際には、そこに力点を置くべきであると強調している。
もっとも、自分のためのデザイン思考では、協力者とチームを組んでブレインストーミングを行うのは難しい。ゆえに、想起できるアイデアの数にはどうしても限界が出る。ただしそれでも、「マインドマップ」などの手法を使うことで、結構な数のアイデアを想起することができる。
下図(図3)は、読者の参考のために、私が作成したマインドマップのサンプルである。念のために断っておくが、これはあくまでもサンプルであって、「くせ毛のプロフェッショナルに向けたコーヒーショップ」を開店する予定はない(少なくとも現時点では)。
また、『Designing Your Life』の著者らは、自分がエネルギーを得られたと思える瞬間や、自分が夢中で取り組み、貢献できていると感じる仕事のフローを切り出し、マインドマップの中央に配置して、そこから頭に浮かんだ言葉に基づいて枝(えだ)を作っていくことを提唱している。
さらに、それらの言葉を起点に頭に浮かんだ言葉に基づいて新しい枝を作成していき、最終的にはマップ上で目立つ言葉を丸で囲む。そして、丸で囲んだ単語を使いながら職務記述書(ジョブディスクリプション)を作成するといった演習を何度も繰り返すと、自分の取り組むべきテーマやパターンが浮かび上がっていくという。これは、にわかには信じられない話かもしれないが、実際に行ってみると『Designing Your Life』の著者らが言うことの正しさが理解できるはずである。
4. プロトタイピングとテスト
ここで言うプロトタイピングとテストとは、「3. アイデア出し」で作成したアイデアに基づきながら、新しい仕事や人生のプロトタイプを、実際の生活の中で試してみることを指している。
上述したマインドマッピングとプロトタイピングは数多くのアイデアを生むことにつながる。そのため、曖昧さを嫌い、課題解決のソリューションをすぐに手に入れたいタイプの人が、プロタイプからデータを集めることなく最初のアイデアに飛びつくのを防ぐことができる。まずは現在の役割やコミュニティ内でプロトタイプを作成し、テストすることから始めるのが無難であると、ヴィーツェック氏は指摘している。
ちなみに、当時の私にとってプロトタイピングを行わずに、キャリアや人生の変化に関する大きな決断を下すという行為は、いきなりブランドマーケティングのキャリアを捨ててヨガの講師になるか、一人暮らしの課題解決のためにコミューンに移り住むかの選択をする、という具合であった。
マインドマップの演習を繰り返したことで、自分の創造性が鍛えられたようにも感じている。現在、ブランドマネージャーとしてクリエイティブな仕事を中心にチームを結集することにやりがいを感じているが、一方で、自分の創造性を生かしたいという意欲も強まっている。そのため、アトラシアンのチームメイトである2人の編集者と「プロトタイピングの会話」(*1)を行い、戦略性を持たせながら日々オンラインメディアにコンテンツを寄稿することがどのような仕事なのかの理解を深めた。また、曖昧さと失敗への恐れを乗り越えるために、Zoomでヨガのクラスを教え、講師としてのキャリアを試すプロトタイプも作成したのである。
*1 プロトタイピングの会話:自分のやりたいことの専門家である誰かとミーティングを持ち、彼らの経験から多くを学ぶことを指す。『Designing Your Life』の著者2人が、この種の対話を「プロトタイピングの会話」と命名した。
5. アクティベーション
アクティベーションとは、プロタイプによるテストを十分に実施したのちに遂行の決断を下し、キャリアや人生の新しいスタートを切ることを意味している。もちろん、プロトタイプで幾度テストを重ねても、それを実行に移すとなると失敗に対する恐れを乗り越えなければならない。ただし、ヴィーツェック氏は失敗について次のように語っている。
「キャリアや職を変えるのは失敗ではなく、うまくいないことを試してみるのも失敗ではありません。そして、失敗はあなたの人生の一部となり、糧になります」
とはいえ、失敗の可能性は可能な限り小さくするに越したことなく、私はデザイン思考の演習を通じて、プロタイピングやテストを経ずに適切な決定は下せないということも学んだ。また実のところ、デザイン思考のプロセスを始動させて以来、私は大きな決断を下していない。しかも、新型コロナウイルス感染症の流行により、自分の新しいライフデザインを描くペースも確実にスローダウンし、かつ慎重になっている。
ただし、こうした状況下でも、新しい経験をテストし、自分の可能性に対する好奇心を保ち続けてはいる。さらに、ヴィーツェック氏によればデザイン思考のプロセスは片方向型ではなく、プロトタイピングとテストに幾度か失敗してアイデアが枯渇したら、再度、「定義」のフェーズに立ち戻り、アイデアを生み出せばよいと説いている。
このように、常に新しい視点を持ちながら、自分のキャリアと人生の決定に取り組むことで、自分に対する理解をさらに深め、自身の成長を促すことができるのである。
なお、本稿の最後に、私が最も学びになったヴィーツェック氏の言葉を紹介しておきたい。それは以下のとおりだ。
いかなる組織も、あなたのやり方や生き方を気にかけてくれることはありません。あなたの人生はあなたのものです。将来に向けて何が重要で、何が必要で、何の優先度が高いかを決めるのは、あなたの責務であり、だからこそ自分に対する理解をもっと深める必要があるのです。