著者 :ホルスト・シュルツ/ディーン・メリル
翻訳 :御立 英史
出版社 :ダイヤモンド社
出版年月日:2019/5/23
伝説的リーダーが説く経営の指南書
書籍のタイトルから分かりとおり、本書はリッツ・カールトンの共同創業者ホルスト・シュルツ氏が記した経営指南書だ。ドイツに生まれ、14歳の灰皿洗いからホテルでのキャリアをスタートさせた同氏は、1964年に10代で渡米し、ヒルトン、ハイアットなどの一流ホテルでキャリを積み、1983年にリッツ・カールトン(以下、リッツ)の創業に参画。そのオペレーションをほぼ独力で築き上げ、リッツを世界屈指の高級ホテルブランドへと成長・発展させたという。
この物語自体にかなりのドラマ性があるが、本書はシュルツ氏の伝記ではなく、あくまでも経営指南書である。そのため、若い頃のシュルツ氏の苦労話は、前段でさらりと触れられ、どうしてホテルマンになったのか、サービスの基本をどう学んだのか、「紳士淑女にサービスをする紳士淑女」という経営理念がなぜ生まれたかの説明に使われているにすぎない。この辺りは、とても機能的で、経営のハウツーは知りたいが、人の苦労談や自慢話は聞きたくないという方も、抵抗感なく本書を読み進めることができるはずである。
テイラー主義を完全否定し、“脱”産業革命時代を訴える
本書は大きく3つのパートから成る。最初のパート1では顧客サービスのあり方を、パート2では、組織づくりの手法を、そしてパート3ではリーダーシップについて論じている。
このうち、パート1では、顧客中心主義を徹底するとはどういうことなのか、顧客中心のサービスはどうあるべきかが説かれている。内容には納得感はあるが、シュルツ氏ならではのユニークさはあまり感じられない。また記述の中に、既存顧客を維持しながら新規顧客を獲得し、リピートオーダー(あるいは、リピーター)を増やすこと、さらには、これらの活動を効率的に展開することが、企業が成功を収めるための最重要課題との言葉が出てくる。この見解に異を唱える向きはいないと思われるが、逆に当然のこと過ぎて、新しい気づきは得られない。とはいえ、ホテル事業の伝説的な成功者が、顧客満足度向上の施策について語っていると考えれば、既視感のある論であっても、やはり信頼感はある。
一方、組織づくりについて説いているパート2は、本書のキモとも言える部分だ。シュルツ氏の組織づくりの考え方は、従業員の“働きがい”や“エンゲージメント”を経営の柱に据えるというもの。その内容を読んでいると、組織づくりとマネジメントに関するシュルツ氏の実践と成功が、従業員のモチベーションを重視する今日の経営手法に大きな影響を与えているように思えてくる。
この章ではまず、従業員を“非人間的な労働力”として扱う、産業革命時代の名残(なごり)のような経営手法の完全否定から始まる。その中で、シュルツ氏はまず、自動車の組立ラインを完成させた米国産業界の偉人で、フォード・モーターの創業者であるヘンリー・フォード氏の考え方を非難し、今日の経営者は、フォード氏のように「社員から人間的な要素を奪ってはならない」と強く訴える。
また、併せて本書が批判しているのが、20世紀初頭に生まれた「テイラー主義」から脱し切れていない経営者たちである。
テイラー主義とは、19世紀末期から20世紀前半に活躍した工業エンジニア、フレデリック・テイラー氏が、大量生産を効率化するために考案した手法を経営の柱に据えることを指している。テイラー氏の考え方は、一握りの知恵者が生産工程を設計し、それに沿って多数の労働者を機械のように働かせるというものだ。シュルツ氏は、21世紀の今日においても、このテイラー主義から脱し切れず、社員たちを生産設備と同列に見なしたり、自分の意のままに動かそうとしたりする経営者が少なからずいると嘆いている。
そして、企業が顧客満足度を高め、競争力を高いレベルで維持するには、社員を人として尊重することが不可欠であり、組織のリーダーは、人が何のために働くかを理解したうえで、自分たちのビジョンを明確に示して共感を獲得し、社員たちの人生の目的と組織の目的とを一致させながら、組織へのロイヤルティや働く意欲を引き出して維持しなければならないとしている。その逆に、自分たちのビジョンに共感してくれない人材は、いくら優秀であっても、組織の一員として採用する必要はないとしている。
このパート2で優れているのは、社員をどう育成するか、どのようにしてモチベーションを引き出して維持するか、さらには、組織に対する帰属意識をどう持たせるかの手法が具体的に示されていることだ。その中には、チームとしての団結や家族的なつながりがないままに、「私たちはチームです!」「私たちは家族です!」といったスローガンを口にするのは無意味であり、かえって社員たちのやる気を削ぐことになりかねないとの記述もある。こうした指摘に、「ギクリ」とする経営者の方がおられるのではないだろうか。
ちなみに、「社員全員が一丸となって…….」といったフレーズを使う経営者の方もときおり見受けられるが、こうしたフレーズを使いたがるのは、すべての社員を自分に従わせようする意識の現れで、根底には、前述したテイラー主義が流れていると、シュルツ氏は指摘している。
リーダーに必要なのは“夢”とデータ
リーダーシップのあり方を説く最後のパート3では、パート2の内容を踏まえたうえで、どのようなリーダーが必要とされているかを具体的に示している。
同氏によれば、リーダーにとって最も必要なことはビジョン(=夢)を抱き、その達成にこだわりを持つことであるという。また、ビジョンの実現には社員の助けが不可欠となるが、それを獲得するには、社員を命令や統制で縛るのではなく、社員をビジョンに巻き込みながら鼓舞をして、自発的に良い仕事がしたいと思わせるようにすることが重要で、そのうえで妥協せずにビジョンを追求することがリーダーには求められるとしている。
さらに、このパートでシュルツ氏の経営センスを感じさせるのは、“才能”“直感”“精神論”を否定している点にある。本書によれば、世の中には「生まれながらのリーダー」は存在せず、リーダーとしての能力は立場と経験が育むものであるとする。加えて、リーダーは、精神論だけで組織を率いることはできず、データに基づくパフォーマンス評価が絶対に必要で、とりわけ、顧客ニーズの多様化・変化が激しい時代では、直感に頼った経営は通用せず、起業での成功もありえないと言い切っている。
本書を読む前は、リッツ創業者の経営論とあって、ホテル事業者にしか参考にならないような記述が多いのではないかとの懸念もあった。ただし、本書で語られている内容は、多くが汎用的で、抽象化のレベルも高い。背景には、どの業界にも通用する経営論を展開しようとするシュルツ氏の意図と工夫があると思われるが、本書の記述からは、ホテル業界に特化した経営ノウハウ本という印象はほとんど受けなかった。また、理想論だけを展開するのではなく、組織づくりにおいて、労使間にある絶対的な溝をどう埋めるかの具体策も示されているので、その辺りも、なかなか実践的と言えるだろう。
シュルツ氏の考え方は、ホテル業界のみならず、米国におけるさまざまな業界の顧客サービスや組織づくりのあり方を変容させてきたという。その一端を示した本書は、日本企業の経営者の方にとっても参考になる一冊と言えそうである。