アトラシアン本社の情報サイト『WORK LIFE』より。編集部のジェイミー・オースティン(Jamey Austin)が、フォード・モーター社を窮地から救ったとされる伝説の自動車「フォード トーラス(Ford Taurus)」を開発したチームがどのように形成され、なぜ成功を収めることができたのかについて考察する。

本稿の要約を10秒で

  • 1970年代後半、フォード・モーターは崩壊の危機に瀕しており、1980年代初頭、新車の開発に30億ドルの巨費を投じるという賭けに出た。
  • その新車の開発プロジェクトは、フォード・モーターにおけるモノづくりのあり方を一変させるプロジェクトとなった。
  • この一大プロジェクトを推進したチームは、デザイナーやエンジニア、さらには生産ラインの作業員やマーケターなどが「心理的安全性」が確保された環境の中でコラボレーションするという、これまでのフォード・モーターではありえないようなチームだった。

崩壊の危機に瀕していたフォード・モーター

1970年代後半、フォード・モーター(以下、フォード)は崩壊の危機に瀕していた。当時の米国は、オイルショック(石油危機)などに端を発する深刻なスタグフレーション、すなわち、インフレと景気後退のただなかにあったうえに、フォードの自動車はどれも石油危機の時代にはそぐわないものだった。

書籍『Taurus: The Making of the Car That Saved Ford』の著者、エリック・タウブ(Eric Taub)氏によれば、フォードに限らず、米国における当時の自動車メーカーはきわめて保守的であり、彼らの製品は「車輪のついたリビングルーム」のようなつくりで、乗り心地こそ良かったものの、燃費が悪く、かつ「エンジンが一度でかからない」など品質も不安定だったという。それでも、フォードをはじめとする米国の自動車メーカーは、これまでのやり方を変えられずにいた。

この点について、米国自動車研究所(The Center for Automotive Research)の元所長であるデビッド・コール(David Cole)氏は「伝統的な企業にとって、これまでのやり方を変えるのは難しいことです。かつてのフォードにとっても、それは例外ではありませんでした」と話す。

求められた新しいリーダーシップ

1970年代後半の自動車産業において、変革をリードしていたのは日本の自動車メーカーだ。トヨタを筆頭とする日本のメーカーが、生産プロセスに変革のうねりを巻き起こし、自動車の品質を劇的に向上させながら、小型で低燃費の製品を相次いで市場に投入し、米国の自動車メーカーを圧倒していた。

そんな状況を打ち破るべく、フォードは1980年代初頭、新車の開発プロジェクトに30億ドルを投じるという賭けに出た。30億ドルは今日でもかなりの投資額といえるが、1980年代初頭の30億ドルは今日よりもはるかに価値が大きい(ちなみに、1980年初頭における日本の円と米ドルの為替レートは、1ドル=220~240円)。つまり、このプロジェクトは、フォードにとってまさに社運をかけた挑戦であり、仮に失敗に終われば破綻は必至だったといえる。

そんな一大プロジェクトを牽引した当時のフォード社長であるドン・ピーターソン(Don Peterson)氏と製品デザインの責任者であるジャック・テルナック(Jack Telnack)氏、そしてCEOのフィリップ・コールドウェル(Phillip Caldwell)氏の3氏は、事実上、フォードに革命を巻き起こしたリーダーたちと言い切れる。

例えば、当時における日本の自動車メーカーは、異なる機能を持った複数の部門が一体となって製品開発のプロジェクトチームを組み、軽快に、かつ革新的に仕事を進めていた。その製品づくりの方式は、当時のフォードが1世紀近くの長きにわたり守ってきた製品づくりのあり方とは真逆のものであったとタウブ氏は述懐している。

当時におけるフォードは典型的な縦割り型の組織で、部門ごとにすべてがサイロ化され、製品づくりにかかわるエンジニアが、デザイナーあるいはマーケティング担当者と対話することはなかったのです。(タウブ氏)

こうした状況を一変させたのが、フォード トーラスのプロジェクトだ。そのプロジェクトにフォードの命運、ひいては米国の自動車業界全体の命運がかかっていた。ゆえに、開発する製品は是が非でもヒットさせなければならず「これまでにない画期的な製品を作り上げることが必須であると、フォードで働く誰もが考えていました」と、テルナック氏は明かしている。

そんな構想の具現化に向けて、フォードが特に力を注いだのは製造技術とプロセス、そしてチームワークの変革だった。言い換えれば、同社では、トーラスの製品化に向けて創設者ヘンリー・フォード氏が生み出した「可動アセンブリライン」以来のモノづくりの変革を成し遂げようとしたのである。

この計画の遂行とチームづくりのために招かれたのがテルナック氏だった。

同氏は当時、フォード ヨーロッパのチーフデザイナーとして働いており、米国本社とは距離的にも、組織的にも離れた場所で欧州市場に特化した自動車を自由にデザインできる立場にあった。そのため、テルナック氏はかねてから、製品開発のチームづくりに関して米国本社とは異なるアプローチを採用していたという。その点について、テルナック氏は次のように語っている。

フォード ヨーロッパで私が追求していたのは、製品のデザインからエンジニアリング、製造、財務、マーケティングに至るまで、関係するすべての部門の担当者を一つのチームとして機能させることです。そのため、製品開発のプロジェクトが始まった際には、その製品に関係する全部門に対して「いよいよ、新しいプロジェクトが始まります。これまで以上に密接に連携していきましょう」と声をかけ、各部門の担当者が互いに誠実さと信頼感を持ちながら、一丸となって課題の解決にあたることを求めていました。(テルナック氏)

テルナック氏は、自身が追求したチームづくりのコンセプトとして「統制のとれた自律性(=Directed Autonomy:DA)」を掲げていた。そして、そのDAをフォード トーラスのプロジェクトにも適用することにした。それは、フォード本体における製品づくりのあり方を、典型的なトップダウン型から現場主導の自律分散型へと変容させる取り組みでもあったのである。

部署を跨いだチームワークのアプローチ

言うまでもなく、フォード トーラスのプロジェクトを自律分散のアプローチで推進するうえでは、適切なメンバーによってチームを組織する必要があった。ここで言う「適切なメンバー」とは、それぞれの専門領域で相応のスキルと知識を保持しているだけではなく、自身がプロジェクトの先頭に立ち、変革を牽引する気概を持った人を指している。幸いなことに、当時のフォードには、そうした気概を持った社員が数多くいたという。

フォードで働く社員たちは、その多くがトップダウン型の経営スタイルから脱却したいと望んでいました。言い換えれば、自社の「株価」や「株主の利益」だけを追い求めるのではなく、一般の消費者や顧客、あるいはドライバーを中心にした製品づくりに携わりたいと願う社員が大勢いたということです。ゆえに、トーラスのプロジェクトにおけるメンバー集めは難なく進んだのです。

こうして結成されたトーラスのプロジェクトチーム(以下、チーム トーラス)では、その自律性を確保すべくメンバーの多くが「トーラス専任」でことに当たることになった。つまり、例えば、エンジニアリング部門のエンジニアが、トーラス以外の製品の開発に掛け持ちでかかわるようなことを避けたのである。そのうえで、製品のデザインからエンジニアリング、製造、財務、マーケティングに至るまで、製品にかかわるほぼすべての意思決定をチームで完結し、各部門と情報を共有しながら、自律的にミッションを遂行していく体制を整えた。

旧来、フォードにおける製品づくりは、デザイナーが何十ものアイデアをスケッチし、その中からベストなものを選んで実物大のクレイモデルを仕上げ、上層部による承認を得ることから始まっていた。上層部による承認を得たデザインは設計図へと展開され、エンジニアリング部門に送られる。エンジニアリング部門では、その設計図をもとに当該製品(自動車)を構成する数千もの部品を作り、テストを繰り返して仕様書を作成。仕様書は、製造部門に送られ、組み立てラインに乗せるための準備が行われていた。

この製品開発・製造のプロセスは、いわゆるウォーターフォール型のそれであり、しかも部門を跨いだコミュニケーション、コラボレーションはほとんどなかったという。その点について、当時のフォードで働いていた、あるエンジニアはこう語っている。

かつての製品づくりのプロセスは、前近代的な「流れ作業」そのものでした。例えば、エンジニアリング部門であれば、新車の仕様書を重石に巻き付けて壁の向こう側にいる製造部門に放り投げる。その後、数週間以内に製造部門からのフィードバックがなければ「仕様書どおりに製造が行われるようだ」と判断する。そんな流れ作業の中で、製品づくりを行っていたんです。

それに対してチーム トーラスでは、デザイナーとエンジニアが一つの部屋に集まり、デザインの段階からともにアイデアを練り上げていた。ゆえに、自分たちが想起したデザイン上のアイデアが「想定どおりに機能しうるかどうか」「理にかなっているかどうか」を即座に判断することができたという。しかも、チーム トーラスでは、デザインの段階から部品のサプライヤーと連携し、「自分たちのアイデアが実現可能かどうか」を検証していた。さらに、デザインに対して組み立てラインの作業員からもフィードバックをもらうべく、彼らをプロジェクトに巻き込んだ。それによって製造の効率化やコストの節約につながる意見、アイデアを吸収していったのである。

もっとも、チーム トーラスが優先していたのはデザインや製造の効率化、あるいはコスト低減ではなく、消費者やドライバーのニーズを充足したり、願いを叶えたりすることだった。

フォードのエンジニアたちは旧来、車載の空調ダクトを車内の最も設置しやすい場所に配置しようとするのが通常でした。ゆえに、デザイナーは、エンジニアたちのために空調ダクトの位置を調整しながら、他のあらゆる計器をどこに配置するかを決めなければなりませんでした。それは、自社のエンジニアの仕事をやりやすくするための努力であって、製品のユーザー(ドライバー)の快適さや運転のしやすさを第一に考えた設計上の工夫ではなかったといえます。チーム トーラスは、そのようなユーザー不在のデザインはすべて排除しようと考えていました。(タウブ氏)

こうしたユーザー中心の製品づくりは、トーラスにおけるデザイン上の最大の特徴である丸みを帯びた楕円形のフォルム(形状)へとつながっている。当時、米国産の乗用車はほぼすべてが「箱形」の形状を採用していた。要するに、幼い子供が描く自動車の絵のように、箱を並べて車輪をつけたような形状(これは、「スリーボックス」型と呼ばれていた)を成していたのである。それに対してトーラスでは、あえて曲線を多用し、全体の形状が丸みを帯びていただけではなく、ヘッドライトなども楕円形にした。

さらにトーラスでは、フォード車の外見を一新しただけではなく、車載の組み込みプログラムからエンジン、トランスミッション、アクセルに至るまで、フォード車を構成するすべてのパーツを新しくしたのである。