1908年に初代の横浜駅(現・桜木町駅)構内の売店として創業した崎陽軒。それからちょうど20年後、当時はこれといったものが何もなかった横浜に新しい名物を作ろうという思いで崎陽軒が商品開発した「シウマイ」は、今ではすっかり横浜の顔として定着している。

「シウマイ弁当」
(写真提供:崎陽軒)

さらに、崎陽軒の名を広めるきっかけとなったのが、54年に発売した「シウマイ弁当」だ。同社の主力商品としてコロナ前には1日に約2万7000個を売り上げるほど、全国屈指の駅弁として人気を博している。

地元・横浜の人たちだけでなく、日本中に熱烈なファンの多い崎陽軒のシウマイは、「まさにお客さまに支えられている」と同社の野並直文社長は話す。

この「顧客第一主義」は同社の人材育成や組織マネジメントにも大きく関わっている。野並社長へのインタビューから、その勘所をひもといていく。 

野並直文社長

客の声を商品開発に生かす

逗子銀座通り店
(写真提供:崎陽軒)

コロナ禍で通信販売にも力を入れているとはいえ、崎陽軒の売り上げの大部分を占めるのが、駅店舗などでの対面販売だ。店こそが顧客との最大のタッチポイントであり、営業の最前線である。この場所で得られるさまざまな情報の価値は代え難く、それが同社のビジネスの根幹を支えている。

「新商品を作るときには販売スタッフの意見を聞くんですよ。日ごろからお客さまの声が店に直接届いているためです。それを商品作りに反映させているのです」と野並社長は明かす。

崎陽軒はなぜこんなことをやっているのか。一つには、社内の誰よりも顧客のことを熟知しているのが販売スタッフだからということがあるが、ほかにも理由がある。実はこの取り組みが販売スタッフのモチベーション向上につながっているからだ。

「販売スタッフにとっては、自分たちの意見が反映された商品なわけですよ。私はただ店で商品を売っていればいい人、ではなく、間接的に商品作りに携わることで、責任を持って販売しなければならないという自覚が芽生えます。店長クラスのスタッフはそれをモチベーションとして販売に精を出し、その先輩の姿勢を若い販売スタッフも見習うようになります。こうした相乗効果が生まれています」

野並社長によると、「お客さまが人を育てる」というのは、顧客の崎陽軒愛に対して応えよう、裏切ってはいけないと販売スタッフが感じて、レベルアップしていくことだという。

新商品開発において、以前は消費者を集めて覆面調査のようなこともやっていたが、それでは本心を引き出すことは難しいと痛感した。それよりも、商品販売という日常業務の中で、常に顧客の声がフィードバックされる仕組みを社内に設ける方が大事だと考えるようになった。

とはいえ、顧客の声を自動的に収集するシステムがあるわけではない。どうやっているのか。この答えは店頭に行けばすぐに分かると野並社長は言う。

「よく商品ケースの前で、お客さま同士が会話をしていることがあります。私もお客のふりをしながら見ていると、何やらゴニョゴニョと話をしているのです。『こんなのを売っているわよ』とか、『最近出た商品が値上げした』とか。そういう声を販売スタッフは日常的に聞いています。これこそがお客さまの本音であり、いかに吸い上げていくかが大切です。単に品物とお金のやりとりだけなら、お客さまが何を感じているのかなんて分かりませんよ」

過度の現場主義は禁物

ただし、販売現場の意見を重用しすぎるあまり、“想定外の事態”が起きてしまったこともある。それは、リーマンショックの余波による不況でシウマイの販売が伸び悩んだ時のことだ。

「最近、シウマイ弁当は値頃感がなくなってきたな」という顧客の声が増えてきたため、野並社長は営業部長クラスを集めて商品の値下げを打診したが、猛反発を食らった。そこで今度は、東京エリアの店長クラスを7、8人集めて意見を求めたところ、「ぜひともやってください!」と満場一致で賛成だった。それを受けて2010年9月の価格改定で、30円の値下げに踏み切ったところ、見事売り上げは回復した。

それから1年後、野並社長は値下げの後押しをしてくれた店長たちを呼んで、ねぎらいの言葉をかけることになった。当然、意気揚々とやってくるのかと思いきや、皆浮かない顔をしている。聞けば、値下げを勧めたことに責任を感じているという。

実は、値下げによるシウマイ弁当のV字回復があまりにも世間で注目されたため、「自分たちの意見でこんなことに……」と重荷になってしまったようだ。

「もしかしたら他の社員から『あんたたちが余計なことを言ったから、社長が値下げしたのよ』などと責められたのかもしれません。難しいことを聞いてしまってはだめだと痛感しました」

値下げの判断によって会社の業績が伸びたことに対しては胸を張るが、現場に委ねすぎてしまうのも考えようだと、野並社長は反省した。