「アジャイル」の手法によって、どのような変革のうねりが日本で巻き起ころうとしているのか──。このテーマのもと、日本企業へのアジャイルの浸透・定着に取り組む3人のリーダーがアトラシアンのプライベートイベント「Atlassian TEAM TOUR Tokyo」(会期:2021年12月15日)でパネルディスカッションを行った。そのエッセンスを紹介する。

アジャイルで意思決定のプロセスはどう変わったのか

平鍋:アジャイル採用の効果として意思決定のプロセスが変革できる点もよく指摘されます。実際にアジャイルを採用してみて、意思決定の方法に変化は見られたのでしょうか。

LIXIL・岩﨑:当社の場合で言えば、システム開発の意思決定は従来、開発チームの上長に委ねられていました。ただし、システム開発は本来、システムを利用する“顧客”のためにあるもので、意思決定権は顧客側にあって然るべきものです。そして、当社のシステム開発チームにとって最も近くにいる顧客は事業部であり、事業部の意思・意向に従うことは事業上のニーズを満たすことと同義です。その観点から、アジャイルを推進するに際しては、組織階層上の上司の意思・意向ではなく、顧客である事業部の意思・意向に従って動くことをシステム開発チームに強く求めました。

そうした中で、アジャイルの作法に則り、事業部を巻き込みながら開発を進めた開発チームは、顧客の意思・意向に沿ったシステム作りはどうあるべきかを知り、これまで自分たちにできていなかったことが明確に見えるようになったようです。

平鍋:KDDIの場合は、どうでしょうか。アジャイルの採用で意思決定のプロセスに何か変化はあったのでしょうか。プロダクト開発の現場は、ビジネス上の意思決定から切り離されたところに置かれる場合が多いですが。

KDDI・藤井:私の場合、KDDIでプロダクトの企画と開発の両部署を統括できたので、意思決定のあり方に柔軟性を持たせやすかったと言えます。ただし、企業には「稟議」という伝統的な意思決定のプロセスが存在し、顧客の意思・意向に沿った開発プランであっても、社内稟議を通さない限り実施できないという現実があります。

稟議のプロセスを踏むと、大抵の場合、現場の提案を承認する側からさまざまな要望・要求が(承認の条件として)寄せられ、結果として、開発チームが取り組まなければならない課題は増大します。しかも、そうして増えた課題の中には、それを解決したところで顧客体験の向上や顧客の利益にはつながらないものが多く含まれていたりします。その中で、スクラムを適切に回していく難度は高く、対策はいくつか講じたのですが、それでも上手くいかない場面に幾度か突き当たりました。

そんな経験を重ねるうちに、中途半端な知識でスクラムに取り組み、問題が起こるたびに対処療法的に対策を講じていてはアジャイルがスケールできないことに気づき、スクラムを根本から学ぶべきとの考えに至りました。その考えが転じて、スクラムのトレーナーの教えを請うよりも、スクラムのトレーナーを育成する組織を自分たちで立ち上げたほうが有効な学びにつながるとの結論に至り、平鍋さんの協力を仰いでScrum Inc. Japanを立ち上げたということです。

アジャイル定着に向けた施策とは

平鍋:先ほど藤井さんからアジャイルをスケールするというお話がありましたが、アジャイルを組織の文化として定着させるのは、スクラムのチームを社内にいくつか立ち上げて成功させるのとはまた違った難しさがあると思います。その定着をどう図っているかについてお聞かせください。

KDDI・藤井:KDDIの場合は、先ほど申し上げたアジャイル開発センターの立ち上げが、アジャイル定着に向けた取り組みの代表的な1つです。センターを発足した目的は、アジャイルに対する自分たちの取り組みを可視化して、メディアを含む外部の人に評価してもらうことです。外部から評価・賞賛されることで、アジャイルに取り組むエンジニアのモチベーションはアップします。それをアジャイル定着の原動力にしてきたわけです。

アジャイルの取り組みや成果は外部から見えづらく、意図的にアピールしなければ、評価・賞賛の対象になることはほとんどありません。その意味でも、取り組みの内容が目に見えるかたちにし、その価値を周囲に知ってもらうことは大切だと考えます。

平鍋:取り組みの可視化という点では、LIXILでも、EAT(エグゼクティブアクションチーム)(※1)の「障害管理ボード」を社内の見えるところに設置したとお聞きています(図1)。この見える化の施策も、アジャイルの定着には有効なように思えますが。

図1:LIXIL EATの障害管理ボード

*1: EAT(エグゼクティブアクションチーム)- スクラム組織の最上位にある2つのリーダーシップの役割のうちの1つ。企業の役員レベルなどが含まれ、チームでは解決できない、組織レベルで協力しなければならない課題や障害を解決する。

LIXIL・岩﨑:私たちがEATの障害管理ボードを社内の誰からも見えるようにした意図は、リーダーシップが開発チームの問題解決のために存在し、何らかの障害に突き当たった際には、必ずEATに相談を持ちかけて欲しいというメッセージを開発チームの全員に伝えることにありました。障害管理ボードの運用方式としては、スクラムチームが自分たちの直面している問題(障害)を付箋に書いてボードに貼り付け、それをEATのメンバー全員が週2回の頻度で見て解決策を検討し、解決に動くというものです。

新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)が流行し、スクラムチームのメンバーがリモートワーク(テレワーク)に移行してからは、障害管理ボードの役割をアトラシアンの「Jira Software」のカンバンボード(Board)機能に代替させ、スクラムチームからの障害解決の要請を受け付けて管理しています。

平鍋:そうした障害管理ボードの施策で開発組織の文化はどのように変化していますか。

LIXIL・岩﨑:最大の変化は、リーダーシップがシステム開発現場の問題を直接とらえて解決に動けるようになったことと、その結果として、リーダーシップと現場との距離がかなり近くなったことです。そうした変化を組織の変革や組織文化の変革へとしっかりとつなげていくためにも、EATを今後も大切にしていきたいと考えています。

ちなみに、当社のEATは、私を含むエグゼクティブ層とスクラムマスター(※2)、そしてアジャイルプラクティスのメンバーで構成されていますが、先ほど触れたとおり、スクラムチームの数がすでに数十に達しているのでEATをどうスケールするかの検討も進めています。

*2: スクラムマスター - スクラムチームのリーダー。トップダウンによる意思決定や作業指示は行わず、チームの障害を取り除くことによって、メンバーが円滑に計画を進行できるようにサポートする。

実践で気づいたアジャイル/スクラムの効用

平鍋:ここで、お二人にお聞きしたいのですが、アジャイル/スクラムを実践されて改めて気づいた効果、効用は何かありますでしょうか。

KDDI・岩﨑:約3年にわたってアジャイル/スクラムに取り組む中で、私が強く感じたのは、この手法がチームの協業を高効率に、かつ合理的に回していくうえで非常に良くできた方法論であるという点です。

従来の日本企業は個々人の頑張りを評価しようとする傾向が強くありましたが、個人の能力には限界があるうえに、個の力に頼ることは仕事の属人化を招き、組織力を中長期的に維持することを難しくします。ゆえに、個からチームへの転換を図ることは企業にとって正しい道筋ですし、アジャイル/スクラムの採用はそのための有効な手段と言えるわけです。

平鍋:なるほど。おっしゃるとおりですね。

LIXIL・岩﨑:加えて、アジャイル/スクラムが優れているのは、チームのメンバーが各所に分散して非同期で働いていても、チームの生産性が維持・向上できるように設計されていることです。

もちろん、デイリースクラム(※3)のために毎日10分から15分はチームの全員が時間を合わせて集まらなければなりませんが、それ以外はメンバーの全員が自分の都合に合わせて働く場所や時間を自由に選ぶことができます。その意味でアジャイル/スクラムは、リモートワーク(テレワーク)やハイブリッドワークにも適合した手法と言えますし、その採用はチームメンバーのダイバーシティを確保したり、メンバーのウェルビーイング、ひいてはハピネス(幸福感)を醸成したりすることにもつながります。当社のEATでは、チームのハピネス度とベロシティ(※4)をモニタリングしているのでわかるのですが、メンバーのハピネス度とベロシティは正の相関関係にあります。その点でも、アジャイル/スクラムが組織の生産性に及ぼすプラスの効果は大きいと見ています。

*3: デイリースクラム - 開発作業が予定どおりに進んでいるか、課題はないか確認する目的で開催される15分程度の短いミーティング。

*4: ベロシティ - プロジェクトマネジメントにおいて、チームが作業を進める速度。

平鍋:人によっては、アジャイル/スクラムはリモート分散の体制では成立しないと考えているようですが、実際はまったく逆ですよね。

LIXIL・岩﨑:そのとおりです。実のところ、私もリモートワーク体制下ではアジャイル/スクラムを上手く回すのは難しいと考えていました。ところが、平鍋さんのおっしゃるとおり、実際にはアジャイル/スクラムはリモートワークに非常に適した手法だったのです。当社ではコロナ禍対策としてリモートワークを全社的に推進したのですが、本社部門の中で出社比率を圧倒的に低く抑えられたのはDigital部門であり、その比率はおよそ2%でした。それを可能にしたのが、アジャイル/スクラムの取り組みであり、チケットで仕事をする組織の文化だったと言えます。

KDDI・藤井:当社でもLIXILと同様ことが起こりました。コロナ禍の際、Jira SoftwareやWeb会議ツールを駆使しながら、社内で最も早くリモートワークへの移行を済ませたのはアジャイル開発センターだったのです。それには正直驚きましたし、アジャイルを推進していて良かったと改めて思いました。

平鍋:実を言えば、私も藤井さんや岩﨑さんと同じ驚きを体験した一人なんです。当社にはアジャイルによる受託開発を担当しているチームがあるのですが、私は当初、彼らがリモートワーク体制に移行するのは困難と見ていました。ところが、彼らは難なくリモートワークへの切り替えを済ませ、かつ、生産性を維持したのです。

KDDI・藤井:スクラムの生みの親であるジェフ・サザーランド博士は、スクラムでは細かいミーティングを無駄に繰り返すのではなく、必要なミーティングを系統立てて一気に済ませてしまうので、チームのメンバーはミーティング後に各自の仕事に集中して取り組むことできるとおっしゃっていました。まさにそのとおりだったわけですね。

LIXIL・岩﨑、平鍋:そう言えますね。