「Asahi Kasei DX Vision 2030」の達成に向けて、デジタル変革を推進中の旭化成グループ。その取り組みが評価され、経済産業省が東京証券取引所、情報処理推進機構(IPA)と共同で実施する「DX銘柄」に、2021年から3年連続で選定されている。ターニングポイントとなったのは2021年から実施している4つの施策で、それをリードするのが2020年7月に日本IBMから旭化成にジョインした久世 和資氏だ。歴史ある日本の製造業にアジャイルの発想を持ち込んだ久世氏に、旭化成のデジタル共創戦略について伺った。

自作ツールで業務環境や生産性を改善

──デジタル共創戦略における、これまでの成果をお聞かせください。

2020年までの「デジタル導入期」では、MIや生産技術革新、IPランドスケープ、デジタルマーケティングなど、グループ全体で約400件のプロジェクトが生まれました。次の「デジタル展開期」では、個々の成功例を他の事業や部門に横展開することで、デジタル変革の領域を全社に拡大。点のDXから線のDXへの移行を果たしました。さらに2022年からの「デジタル創造期」では、ビジネスモデルの変革により新たな価値創造を進めています。

MIの活用事例としては、次世代タイヤに向けた合成ゴムの開発があります。新素材や新グレードの開発には、無数にある材料の特性と配合条件の最適化を探る必要があり、通常2~3年の期間を要していました。ところが、MIを活用することで開発期間を従来の10分の1程度に短縮し、かつ画期的な新規グレード開発に成功したのです。しかも当時はコロナ禍による在宅期間中だったため、MIはリモートで実施。旭化成では、以前からリモート設備やクラウド環境を整備しており、オンラインでもスムーズに開発できました。

──まさにDXの成果が顕著に表れたケースですね。

成功例は、生産現場でも出てきています。当社では工業用途の繊維も作っていますが、季節による利益率の変動が課題となっていました。というのも、冬は繊維が毛羽立ち、収益が低下してしまうからです。この問題に取り組んだのが「データ分析人材育成プログラム」を受講したパワーユーザー候補生たちです。工場のデータを収集・分析し、毛羽立ちを起こす原因が一部の湿度設定にあることを突き止めました。その結果、季節に左右されず安定して生産できるようになり、大きな事業貢献につながっています。

──直近の事例では、どんなものがありますか。

当社では生成AIのチームを組織し、2023年5月にはガイドラインを発行のうえ全社で生成AIを使える体制を整えています。その中で出てきた成果の1つが、書面監査対応の効率化です。今まではお客様からのお問い合わせに回答するまでに1件あたり平均25時間かかっていましたが、生成AIを活用することで12時間に短縮できました。導入部門では年間140件ほど発生する業務なので、約1800時間の時間短縮となる見込みです。こうした生成AIの活用は、マテリアル事業だけでなく住宅事業やヘルスケア事業でも積極的に取り組んでいます。

──2024年4月からの「デジタルノーマル期」で目指すことは何でしょう。

目指すべきチームはメンバーだけでなく、誰もが当たり前にデジタルを活用する組織です。その兆しはもう見え始めています。たとえば、50代後半のある社員はPython講習の受講を機に、工場倉庫の温度・湿度を自動調整するプログラムを自作。快適な作業環境を自らの手で実現しています。また、オリジナルのダッシュボードを作って業務効率化を進める事例も200以上生まれています。各部門にデジタル活用が根付いたうえで「自分たちでも作れる」「やってみよう」という空気感はすでに醸成されつつありますね。

──DXを人まかせにせず、自分たちで実現していく。全員参加型DXで掲げていたのは、こういうことだったのですね。

そうです。そして、「デジタルノーマル期」ではもう1つ、「共創」もテーマに挙げています。これまで社内で進めてきたデジタル変革のノウハウを、次は社外に展開していく。それが新しい価値創出につながるかもしれません。これからの産業界や社会の課題を解決するには、社内のみならず企業の壁を越えた共創が必要です。MIにしても、競争領域以外のデータは共有したほうが開発も早く進みますし、業界全体の発展にも寄与できるはずです。ただ、日本ではこれがなかなか難しい。

そこで2023年12月に「未来のデジタル人材の会」を立ち上げました。ここに参加した企業9社で各社のDXや人材育成の取り組みを共有し、DX人材育成の高度化と効率化を目指して活動しています。いずれはオープンバッジプログラムも展開し、教材などの共創も進められたらと思っています。またオープンバッジプログラムは、当社発祥の地である宮崎県延岡市の高校にも提供しており、実際にバッジも発行しています。今後も日本のDX育成の活性化に努めていきたいと考えています。

DXで実現するアジャイルな働き方

──現場主体のDXや組織を超えた共創は、アジャイルの思想とも合致します。DXの推進は、アジャイル経営の実践にもつながったのでしょうか。

現場が会社全体の経営を考えて創意工夫するにあたっては、DXが不可欠です。その意識とスキルが浸透したという意味では、アジャイル経営の実現に一歩近づいたと思っています。ただ、真に経営をアジャイル化するためには、トップの強い想いとダイナミックな制度改革が必要です。とくにマテリアルは足の長い事業であることからアジャイルの機敏な動きと相容れない部分もあり、そこはこれからの課題だと考えています。

現場でのアジャイル開発への取り組みは早かったと思います。もともとMIの手法自体がアジャイルに則っていますし、「Asahi Kasei Garage」では明確にアジャイル開発を打ち出しています。これは、顧客視点の考え方をデザイン思考で探り、そのアイデアを実装しながら繰り返し改善していくアジャイル開発の考え方を取り込んだ手段のことです。開発部隊に知財チームを加えてディスカッションを活性化し、ガレージセッション中に出てきたアイデアを即キャプチャしてパテント化するなど、かなりユニークな活動をしています。

──久世さんご自身のアジャイル経験についてもお聞かせいただけますか。

私が33年間在籍していたIBMでは、アジャイル開発が当たり前でした。ワトソンなどのAI開発には世界10カ国以上が関わっており、アジャイルでないと進められなかったのです。また、ソフトウェアのバージョンアップも昔は年1回だったのが、今は毎月、毎週、毎日のように実施しています。このように、開発現場に根付いていたアジャイルを経営にまで広めたのが、2012年にCEOに就任したジニー・ロメッティ氏です。IBMは、もともとジョブ制・裁量労働制を採用していたため、アジャイル経営が実現できました。日本もまずはそこから手を付けないと、「会社がアジャイルになる」ことは難しいのではないでしょうか。

──なるほど。では、ハイブリッドワークについてはどうでしょうか。旭化成さんでは早くからリモート環境を整備されてきたと伺いましたが。

コロナ禍を機に、MIやデータ分析などはオンラインでできるようにしています。ガレージセッションもオンラインが多いですね。デジタル共創本部の場合、現在の出社とリモートワークの比率は半々。つまり、多くのチームでハイブリッドワークが主体となっています。

ハイブリッドワークをうまく機能させるために、社員同士が垣根を越えて情報を共有できる場として「CLIC」という社内SNSを設けています。社内で開催する技術発表会やコンテストなどの様子も共有し、デジタル活用に関する話題やコミュニケーションの活性化にも役立っています。

──リモート社員と出社メンバーのチームワークを高める工夫はありますか。

オンラインでもオフラインでも集まれる場として、「CoCo-CAFE」のような空間を設けました。ここではさまざまなワークショップが開催され、スキルアップやネットワークづくりにも活用されています。また、昼間のカフェが夜にはバーに変わり、自由な交流の場ともなっています。当社の名誉フェローでノーベル賞を受賞した吉野 彰さんが来られることもありますよ。ここに来れば誰かに会えるし、会えば対話や新たな発想が生まれます。そんな対面のメリットを享受したうえでリモートに移行すれば、ハイブリッドワークでもリアルと同じような化学反応が起きると期待しています。

──リアルとデジタルの壁をも越えていくわけですね。最後に、ビジョンにも示されている「境界を越えてつながる」ことで、旭化成グループさんが目指す世界観を教えてください。

私たちが目指すのは、“すこやかなくらし”と“笑顔のあふれる地球の未来”を共に創ること。それには、組織や企業の境界を越えた連携が必要です。たとえば、カーボンニュートラルやサーキュラーエコノミーを1社で実現することは不可能で、その取り組みには多くの企業が関わっています。また産業を発展させるうえでも、共通のデータベースを作り、企業間でのデータ交換を進めたほうが効率的です。これからは、データや情報を共有して、仕組み・仕掛けを共に創っていく時代。そうでなければ、社会課題は解決しないし、新しい価値も創造できません。だから、もっと共創していきましょう!