農業にIT技術を活用する事例が増えている一方、漁業での活用事例はまだ多いとはいえない。特に水温や酸素濃度など環境の変化が激しい海では、IT技術の活用はまだ難しく、データの蓄積も十分ではないからだ。

その中で福井県小浜市は、漁業者が中心となって立ち上げた田烏(たがらす)水産と福井県立大学、それにKDDIの産学官が共創し、IT技術を駆使して鯖を養殖する「鯖、復活」プロジェクトに取り組んでいる。このプロジェクトでは、酒粕を餌にした養殖の鯖を「小浜よっぱらいサバ」としてブランド化した。産官学の成功事例といえるプロジェクトで、どのようにチームが運営されているのかを、田烏水産社長の横山拓也氏と、福井県立大学の細井公富准教授に聞いた。

産官学で鯖の養殖事業に取り組む

横山拓也氏(田烏水産代表取締役社長)。兵庫県尼崎市出身。キリスト教会の牧師11年、精密機械加工企業勤務7年を経て、バイオテクノロジーの分野で起業し、主に酵母の研究に取り組む。徳島大学大学院博士後期課程修了。福井県小浜市の鯖の養殖に16年から関わり、酒粕を餌にする研究に取り組む。19年、小浜市主体の養殖事業が民業に移行する際に、地元の漁業者らとともに田烏水産を立ち上げた

福井県小浜市の田烏地区は、若狭湾の複雑なリアス式海岸にある漁村だ。ここで2016年から行われているのが、国内でも数少ない鯖の養殖。酒粕を餌にしたブランド鯖「小浜よっぱらいサバ」を、京都や大阪のほか、東京にも出荷している。

鯖の養殖事業は「鯖、復活」養殖効率化プロジェクトとして、16年に小浜市が中心となって発足した。地元の漁業者や企業、福井県立大学のほか、17年からはKDDIも参画して、IT技術を活用した養殖が行われている。

「鯖、復活」を掲げた理由を、現場で養殖に取り組んでいる田烏水産の横山氏は、次のように説明する。

「江戸時代の中期から若狭湾では鯖が採れ始めたといわれ、魚介類を小浜から京都に運ぶルートは、いつしか『鯖街道』と呼ばれるようになりました。しかし、福井県の鯖の漁獲量は、1970年代には年間1万2000トンほどありましたが、95年には500トン以下に減少し、現在は200トン以下にまで少なくなっています。田烏では千数百年前から漁業が営まれ、巾着漁という漁法で日本でも有数の鯖の水揚げを誇っていましたが、漁獲量の減少によって船団も解散しました。

転機がきたのは15年です。『海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~』が、文化庁から日本遺産に認定されました。この認定をきっかけに、『鯖街道』を観光資源として活用するとともに、市民が愛する鯖の魅力をもう一度掘り起こそうと、天然物だけでなく、ブランド養殖鯖をつくろうと考えました」

当初は小浜市が主体の官製事業として3年間実施し、その後は民業に移行することが決まっていた「鯖、復活」プロジェクト。バイオテクノロジーの専門家としてかかわっていた横山氏は、地元田烏の漁業者らとともに19年に田烏水産を立ち上げ、養殖の実務を担当。養殖のいけすの中で鯖がどのように成長していくのかを、近くに小浜キャンパスとかつみキャンパスがある福井県立大学がさまざまな面から研究している。

酒粕を餌に「小浜よっぱらいサバ」をブランド化

「鯖、復活」プロジェクトの大きな特徴は、鯖の餌に酒粕を使用していることだ。育てた鯖は「小浜よっぱらいサバ」の名称でブランド化している。

酒粕はこれまで2種類のものが使用された。1種類は、京都市にある老舗酒蔵の松井酒造から提供された純米吟醸酒の酒粕。もう1種類は、日本酒メーカーの月桂冠から提供された酒粕だった。どちらの酒粕を使っても、鯖がきちんと成長することが分かっている。

酒粕を餌にすることによる効果を研究しているのが、水産物の食品研究を専門としている細井氏だ。具体的な取り組みを次のように明かす。

「一つは酒粕を食べて鯖が問題なく育つかどうかを見ています。鯖の成長にネガティブな影響はなく、食品としての品質に問題がないことが立証されています。もう一つは、論文の形ではまだ発表していませんが、酒粕の匂いが鯖に含まれていることを科学的に確認して、鯖の風味に影響を与えることを実現しました。

味の評価は食味試験といって、どの鯖が『よっぱらいサバ』か、普通の養殖の鯖なのかが分からないようにし、ブラインドテストをしてきました。その結果、『よっぱらいサバ』の方が味の評価が高いことを、客観的に示すことができています」

漁業にIT技術を導入してデータを蓄積

いけすで鯖を育てるにあたって、協力しているのがKDDIだ。プロジェクトが総務省の「情報通信技術利活用事業費補助金(地域IoT実装推進事業)」に採択された17年から参画し、IT技術を活用して鯖の生育を管理している。

生育環境を見える化するため、IoTでつながったセンサーを設置。いけすの水温や酸素濃度、塩分などを自動測定し、田烏水産による給餌の記録をクラウド上で管理している。このデータをもとに給餌計画が作られている。

IoT装置を取り付けたいけすの様子。写真中央にある、白くて四角いボックスが伝送装置(二次電池で稼働する)。

また、福井県立大学とKDDIでは新たな研究にも取り組んでいる。研究室内の試験水槽で育つ鯖の様子を映像でモニタリングしながら、自動給餌システムを使って給餌量を管理し、魚体サイズを推定している。環境や給餌条件と摂餌量の関係をモニタリングできる仕組みによって、鯖をよりおいしく、効率よく育てる方法を研究中だ。

ただ、漁業のIT技術活用は、農業に比べると国内ではまだ進んでいるとはいえない。プロジェクトでは鯖の養殖や成長に関するデータを蓄積し、さらなる改良に生かそうとしている。横山氏は、漁業にはITの技術力の向上がもっと必要だと考えている。

「漁業にIT技術の導入がそれほど進んでいないのは、技術力の問題です。農業でIT技術の活用が普及してきているのは、農業は陸地で行うものなので、技術的なハードルが低いからですよね。それに、人間がこれまで担ってきた負荷の高い業務を、ITによって効率化できているのが農業だと思います。

一方で漁業の場合は、水中ドローンで海の中を観察しようとしても、少し時化(しけ)ただけでドローンが壊れてしまいます。それでも、IT技術がもっと進化すれば、無人のロボットが海中を観察するなどして、今まで見えていないことが見えて、新たなことが分かってくるのではないでしょうか。漁業こそIT技術を必要としています」

いけすに入れる水中センサーで、環境条件をモニタリングする。Before、Afterの通り、海水に長く浸されることでサビや貝などが付着するため定期的なメンテナンスが必要となる(提供:田烏水産)

細井氏は魚の養殖の難しさを、農業と比較しながら次のように表現した。

「農業の作物はある程度品種化されていて性質も一定です。それに対して水産物の特徴は、天然に由来していることもあって、非常に多種多様です。また、畜産の場合は牛や豚を育てますが、魚の養殖を畜産に例えると『野生の鹿や猪を飼うようなもの』だとよくいわれます。現状ではまだまだ途上ですが、多種多様で、品種化されていない水産物に対応できる可能性があるのも、IT技術だと思っています」

産学官のチーム運営に必要なことは

「小浜よっぱらいサバ」は19年に1万尾以上を出荷するなど、プロジェクト開始から順調に出荷量を伸ばした。19年当時は1尾あたり300グラムの鯖を出荷していたが、翌年からは大きいもので800グラムにまで育てた鯖を出荷できるようになった。

コロナ禍で主な出荷先だった京都、大阪、東京からの注文は一時なくなったが、反面ECでの販売や地元での消費は活発に。出荷数は19年がピークだったものの、出荷重量の合計と売上は年々伸びている。

「鯖、復活」プロジェクトは、産学官によるチーム運営としては成功事例だ。横山氏はもともとバイオテクノロジーの研究者だったが、現在では養殖現場の先頭に立つ。3年間の官製事業から、会社の立ち上げに至った経緯を次のように振り返った。

「プロジェクトを始めた頃は地元の漁師のみなさんもまだ50代後半でしたが、民業に移行する際には60代になろうとしていました。新しい事業を始めるにはお年を召していたこともあり、私がやるしかないなと思い、田烏水産を立ち上げました。漁師のみなさんには地域への根回しや、事業を進める上でのお膳立てをしていただきながら、一緒に田烏水産の取締役や相談役として参画していただいています」

チームを動かすのは「魔法の言葉」ではなく信頼できるキーマン

産学官の連携では、それぞれの立場の違いから、プロジェクトを進める上で困難が生じることも少なくない。「鯖、復活」プロジェクトでも、当初参画していた企業が外れる場面があった。それでも乗り越えて養殖事業を発展させている。産学官でプロジェクトをうまく進めるために必要なことを細井氏は「ゴールの確認」と指摘する。

「大学が産学官のプロジェクトに参画することには、非常にメリットがあります。研究はもちろん、学生の教育の面でも、プロジェクトに実際に参加できることの教育効果は大きいです。そういう意味では、私たちはメリットを大きく享受する立場です。

ただ、私たちは研究のためにデータを取ろうと、現場にさまざまなことをお願いしますが、生産者のみなさんからすれば、そのまま受け入れられないこともたくさんあると思います。そのような場面を乗り越えて前に進むためには、プロジェクト全体として大きなゴールを共通認識として持っていることが重要ではないでしょうか。立場によってそれぞれのゴールは違います。その違いも含めて共有しながら、目指している大きなゴールを頻繁に確認する必要があると感じています」

横山氏は自らの体験から、生産者が事業に取り組むリスクをチーム全体で共有することの重要性を感じている。

「鯖、復活」プロジェクトの舞台となる、福井県小浜市の若狭湾。横山氏は、「もともと若狭湾で採れる魚は磯臭さが少なく味が良い」と胸を張る(提供:田烏水産)

「別の地域で開催された魚介類の養殖プロジェクトの講演会で、ある自治体の若い職員の方が『漁業者の方の同意を得る際に、魔法の言葉はありますか』と質問していました。講演会が終わってその職員の方と話してみると、新規事業の合意形成が難しく、『笛吹けど踊らず状態』だというのです。

私自身もこのプロジェクトに関わり始めた頃は、どうしてみんな新しいことに消極的なのだろうと思ったこともありました。でも、今は笛吹けど踊らない側の気持ちがよく分かります。というのは、やはり生産者は生活がかかっています。魚が出荷できなければ家族を養えない。事業者であれば、社員の家族を食べさせていくために、自分や、自分の子どもに何かを諦めさせることにもためらいません。だからいい話を持ってこられても、簡単には飛びつかないのです。

新しい事業におけるリスクも承知した上で、自分の生活やキャリアなども含めて、全て捧げる気持ちを持ったキーマンが1人でも2人でもいれば、ついていく人が出てきます。キーマンをハブにすることで、みんながつながっていきます。私たちも別に保障や担保がほしいわけではありません。駄目なときでも一緒に取り組める――そんなつながりを守りたいと思っています。いろいろな人たちと触れ合って、お互いの言葉や姿勢を知ることで、方向性が一致していくのではないでしょうか」

プロジェクトの今後の目標は、600グラムほどの大きさの「小浜よっぱらいサバ」を、年間に2万5000尾出荷すること。「海水温が上昇する夏場は養殖ができませんが、年間2万5000尾を出荷できるようになれば、補助金や研究費に依存しなくても経営できます。できるだけ早く達成したいですね」と横山氏は話している。

IT技術の活用と産学官のチームワークによって、大きな成果が得られようとしている「鯖、復活」プロジェクト。今後の展開に、引き続き注目したい。