コロナ禍で深刻な影響を受けている旅行業界。厳しい状況の中でも動じていないのが、日本有数のリゾート施設と温泉旅館を運営する星野リゾートだ。

例えばコロナ禍で衛生管理を徹底した「新ノーマルビュッフェ」を開発したほか、自宅から1、2時間ほどの小旅行「マイクロツーリズム」を提唱。Go Toトラベルキャンペーンなどの効果もあり、2020年7月から11月まで例年並みの利益を確保した。

星野代表は「コロナが収束すれば国内需要は戻る」と確信している。

コロナ禍を冷静に乗り切ろうとしている星野リゾートの原動力は、フラットな組織文化にある。仕事をするうえで必要な情報を全社員で共有し、階層化した組織を撤廃することで、柔軟な意思決定を可能にした。この文化は、星野リゾートの競争力の源泉ともいえる。だが、同社は初めからフラットな組織文化を確立していたわけではない。

星野代表は、いかにしてフラットな組織文化を根付かせ、コロナ禍を乗り切ろうとしているのか。星野代表に聞いた。

星野佳路(ほしの・よしはる)

1960年生まれ。慶應義塾大学を卒業後、米コーネル大学ホテル経営大学院で修士課程修了。1914年に創業した星野温泉旅館の4代目で、1991年星野温泉旅館(現星野リゾート)社長就任(現 代表)。長野県出身(以下、写真は同社提供)

ケン・ブランチャードのエンパワーメント理論を実践

――星野代表は1991年に先代から家業を継いで星野温泉旅館の4代目社長に就任し、星野リゾートを現在のように大きく成長させてきました。星野リゾートの特徴ともいえる「フラットな組織文化」を取り入れたのは、どのようなきっかけだったのでしょうか。

「フラットな組織文化」を作ろうと考えたのは、私の父が経営していた時代と、私が継いだ時期とでは、社会の背景が変わっていたことに気付いたからです。父が経営していた1960年代、70年代は、日本でも世界でも、経営の定石は生産管理が中心でした。お金を出せば人を雇える時代で、給料をもらっている以上、やる気を持って仕事をするのは社員の義務だという感覚がありました。

ところが80年代になり、サービス産業化が進んだことで、仕事の数よりも仕事を探している人が少なくなります。労働力の需給が変わったことによって、やる気のない社員がいることはその社員自身の責任ではなくて、経営者の責任となる状況に180度転換しました。経営者に求められる役割が、生産管理や財務から、ビジョンの設定や社員のモチベーションを高めるための活動に変化したのです。

私が継いだ時、最初はそのことが理解できていませんでした。募集広告を出しても人がきてくれないのは人手不足が原因だと思っていましたが、やがて経営に問題があると考えるようになりました。そこで活路を見いだしたのが、組織論の権威であるケン・ブランチャードのエンパワーメント理論です。

――どのような理論なのでしょうか。

ケン・ブランチャードは、私が1984年から学んだ米コーネル大学で教えていました。その頃出版された『1分間エンパワーメント』と訳された論文に書かれている理論です。ビジョンを設定し、会社の情報を社員に公開し、フラットな人間関係を作っていく。フラットな組織文化を作ることで、社員に自律した働き方を促すものです。この理論は前線の社員が直接顧客と接するサービス産業に向いていて、私たちの組織に合うと思い、採用しました。

――具体的にはどのようにして、組織づくりを進めたのでしょうか。

私は教科書通りに経営することを重視していて、原文に書かれている通りの手順で進めました。最も大事なのは経営情報を公開することです。正しい議論をするためには、スタッフも支配人と対等に議論ができるように、全員の情報量が同じである必要があります。財務諸表だけでなく、顧客満足度調査も、全員が同時に手に入るようにしました。

同時に、言いたいことを言いたい人に直接言えるように、ピラミッド型に束縛されない組織に変えました。役職で呼び会うことを禁止するとともに、「偉い人信号」を全てなくしています。

――偉い人信号をなくすとは、どういうことでしょうか。

総支配人には個室がある、マネジャーのデスクは大きいなど、「偉い人」と感じさせる要素をなくすことです。全ての施設で、総支配人もスタッフも個人の席はなく、フリーアドレスで仕事をしています。私もいまだに自分の部屋もデスクもありません。これもケン・ブランチャードの論文に書いてあることです。

フラットな組織はチェーンストア理論と矛盾しない

――運営する施設が多い場合、一般的には中央集権的なオペレーションをするチェーンストア理論によって、ピラミッド型の組織構成で管理をした方が効率も良いと考えられています。星野リゾートは「星のや」「界」など数多くの施設を運営していますが、フラットな組織で効率的な運営は可能なのでしょうか。

ケン・ブランチャードの理論は、チェーンストア理論とは矛盾しないと考えています。会社の戦略を浸透させることや、ブランドをいかに統一させるかが、チェーンストア理論の重要なポイントです。星野リゾートもブランドの統一はもちろんしていますし、ブランドが守るべき顧客満足度や収益、それに従業員満足度の基準を、トップダウンで設定しています。基準を守っているからこそ、顧客は信頼感を持って予約してくれますし、リピートにもなります。

一方で、全国各地にある施設がそれぞれの個性を持っている中で、食事はこのメニューを出しなさいとか、サービスはこうしなさいといったことは、トップダウンで決めるべきではないと思っています。各施設のスタッフは、収益と顧客満足度、従業員満足度を守りつつ、それぞれの地域に合わせてサービスの在り方を発想し、議論し、試行錯誤を繰り返しています。

チームがフラットに議論し、正解を見つけるプロセスに入っていくことで、スタッフの接客レベルが変わり、一人一人がエンパワーされます。エンパワーされたスタッフを全体に作っていくことが、ケン・ブランチャードが考える強い組織の条件です。

社内向けブログで「倒産確率」を公開

――2020年4月に1回目の緊急事態宣言が出て以降、コロナ禍で難しい運営を強いられていると思います。ここまでどのように乗り切ってきたのでしょうか。

4月と5月は売り上げが前年比で約9割減少したので、スタッフは不安に思っていたと思います。緊急事態宣言が出る直前の4月2日から、私は社内向けのブログで「コロナ新環境を生き抜く」という投稿を始めました。最初の日は「いいね!」の数が592になるなど反響が大きかったのですが、その後は観光の大義や旅行需要の予測を投稿しても、だんだん反響は小さくなっていきました。

そこで、「スタッフが知りたいことはなんだろう」と考えた時に、倒産確率を書くことに行き着きました。私がいろいろな話題や作戦をブログに投稿しても、「この会社、本当はやばいんじゃないの」というのが社員の本音です。だから、本音に迫ろうと思ったのです。6月に初めて倒産確率をブログで公開すると、「いいね!」の数が爆発的に増えました。倒産確率は定期的に投稿しています。

――倒産確率を初めて投稿したときは、具体的にはどのような反響があったのでしょうか。

ブログに入ってきたコメントには、「久しぶりに星野リゾートらしい刺激的な内容でした」というものがありました。他にも、「わが社に求められている使命がはっきりと見えてきました。明日から実現するのが楽しみになりました」と、この投稿で火がついたと言ってくれる社員もいました。

ある現場のスタッフからは「倒産するシナリオで、現在最も起きる可能性が高いシナリオを教えてほしい」とコメントが来たので、考えられるシナリオを返信しました。すると「現場としても起こり得るシナリオなので、そうならないように頑張ります」とフィードバックがありました。こんなやりとりができるのは面白いですね。

――星野代表自身が、社員のみなさんとしっかりコミュニケーションを取っている感じがします。

コミュニケーションで心掛けているのはユーモアがあることです。倒産確率は私が作った数理モデルで、良いものができていますが、1つのお遊びです。日々やっていることで、倒産確率がどのように改善したのかが分かるようにと考えて始めました。

コロナ禍は社会的には大問題で、いろいろな企業が危機を迎えているのは事実です。しかし、そんな分かりきったことをあらためて深刻に捉えても、暗くなるばかりですよね。だから、ユーモアを持って楽しく乗り越えようというコンセプトで社内に情報発信をしています。

ビュッフェの再開とマイクロツーリズムが貢献

――フラットな組織文化によって、コロナ禍で新たに生まれたビジネスモデルはありますか。

1つはビュッフェの再開です。感染防止のため20年4月にビュッフェの停止をトップダウンで指示しました。6月まで提供を停止していたのですが、予約を受けている沖縄の予約センターのスタッフから、ビュッフェを再開した方が予約も増えるのではないかと言われました。「ビュッフェが中止になりがっかりした」というお客さまの声が多かったからです。それで衛生管理を徹底した「新ノーマルビュッフェ」を開発して、再開しました。

もう一つはマイクロツーリズムです。国内市場を呼び戻すために、自宅から1、2時間くらいの小旅行で地域の魅力を再発見するマイクロツーリズムを、20年5月に提唱しました。地域によって魅力の在り方は全く違っています。各施設がそれぞれの魅力を積極的に提案し、打ち出せたことで、売り上げの回復に貢献できたと思います。

衛生管理を徹底した「新ノーマルビュッフェ」

マイクロツーリズムの商圏

――コロナ禍は続いていますが、今後をどのように見ていますか。

ビュッフェの再開とマイクロツーリズムによって、7月と8月は独自でかなり集客できました。さらに9月からGo Toトラベルキャンペーンに参画したことで、7月から11月まで例年通りの利益を確保しました。12月から再び国内での感染が広がり、Go Toトラベルの一時停止や、今年1月に東京や大阪などに2回目の緊急事態宣言が出てからは、キャンセルが相次いでいます。

それでも、もう一度感染拡大の大きな波が来ると思い準備しながら経営をしてきたので、20年の4月や5月よりも不安は圧倒的に少ないです。不安が少ない理由の1つは、コロナの感染が収束すれば、国内需要が戻ることをすでに経験していること。もう一つは、ワクチンができたことです。20年の春頃は「ワクチンなんてすぐにはできない」という人もいましたが、世界の国々で接種も始まりました。気候が暖かくなって、日本でワクチンの接種が進む頃まで乗り切れば、旅行の需要は回復していくのではないかと思っています。

フラットな組織を支える人材とは

――星野リゾートでは、既存のホテルや旅館を星野リゾートの運営施設として手掛ける機会もありますが、もともと働いているスタッフも含めてフラットな組織文化を確立するには、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。

運営を開始する初期段階で「フラットな組織文化にします」「フラットな組織文化とはこういうものです」と説明します。フラットな組織文化ではビジョンが明確で、情報も得られて、自由に発言もできます。スタッフにとっては損がないので、比較的受け入れられやすいですね。

ただ、最終的な目標は、自律的に考えながら仕事をしてもらうことなので、全員が変わるには時間が必要です。本当の意味で一人一人が発想して行動できるようになるまでには、やはり2、3年はかかります。

実は、けん引役になってくれたのは、新卒の社員でした。新卒だと社会人経験がなく、上下関係を気にしないので、最初からフラットです。新卒採用を始めた90年代後半に基礎能力の高い新卒の社員が入ってきてくれたことで、成果が出るようになったと思います。

――旅館を継いだ時の採用難は、いつ頃に解消されたのでしょうか。

継いだ時点から10年くらいかかっています。今では再生案件でも、すぐにフラットな組織文化を浸透させることができるようになり、早ければ1年や2年で成果が出ます。特に早かったのは2005年の「青森屋」です。以前の経営で働いていた人たちに、もともとフラットさがあったからでした。再生案件の場合、そのホテルや旅館が持っていた文化にも大きく影響されるかもしれないですね。

――スタッフの採用にあたって、どのようなことを重視されていますか。

重視しているのはカルチャーフィットです。もちろんダイバーシティーも必要だと思っています。英語やアラビア語が話せる、調理やスキーが上手といったスキルや、人種や性別などのダイバーシティーはあった方がいいと思っています。

ただ、カルチャーフィットしなければ、組織の中でフラットになりきれない場合があります。チームで議論して意思決定をしますので、そこに合わないとなかなか難しいです。フィットしないことの弊害が接客にも表れますし、組織全体にも負荷がかかります。長く働いてもらえないという結果にもなりますので、フラットな組織文化に合う人を採用することは大事だと感じています。