福岡市でロールモデルを作って日本を変える
――高島市長は2010年に36歳で初当選する直前まで、福岡県内の放送局のアナウンサーをしていました。政治家を目指したのはいつ頃からだったのでしょうか。
高島市長:学生時代に中東問題に関心があって、エジプト、イスラエル、パレスチナを訪問したことがきっかけでした。海外に行くと、日本を客観的に見ることができます。中東から日本を見ることで、これまで先人が築かれてきた日本のすばらしさを実感し、自分も日本をもっと良くしたい、政治家になりたいと思うようになりました。
――学生の頃に政治家を志して、なぜアナウンサーに?
高島市長:学生時代に読んだ本に、「選挙に強くないとやりたいことができない」と書かれていて、なるほどと思いました。選挙に強くなければ、任期中の4年間は、政策を進める政治活動ではなく、票集めに奔走する選挙活動になってしまうのです。
父がサラリーマンでしたので、私にはジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)といった政治家になるための、いわゆる「三バン」がありませんでした。それで、まずはアナウンサーになって、皆さんに顔を知っていただくことを目指しました。
――そうだったのですか。
高島市長:アナウンサー時代は朝の情報番組に出演していたのですが、午後から時間があったので、九州大学の大学院で政治学を勉強していました。そして、アナウンサーになって13年がたった時に、福岡市長選挙に出馬しないかと声がかかり、選挙に出馬して、初当選したのがちょうど10年前の11月です。
――政治家を目指していたということは国政も考えていたと思いますが、福岡市長選に出馬したのはなぜでしょうか。
高島市長:出馬の話をいただいたときに、福岡市長という道に導かれているのだと直感的に思いました。
ちょうどその頃、橋下徹さんが大阪府知事、東国原英夫さんが宮崎県知事で、日本の政治はなかなか変わらないのに、地方は首長によって大きく変わるのはなぜだろうと疑問に思っていました。その理由は、日本と言っても、個性がバラバラな地域の集まりだからです。各地域が一律によくなることは現実にはありませんが、それぞれの地域が良くなって、それが合わさった時に日本全体がすごく良くなるのではないかと思いました。
こうしたさまざまな思いがパズルのように組み合わさり「これだ!」と直感的に思ったのかもしれません。
――10年たって、どのように感じていますか。
高島市長:その考えは間違いではなかったと思っています。もしも10年前に国会議員になっていたとしても、今のようにいろいろなことを変えることはできなかったでしょう。政党に入ったらその方針に従わなければならないですよね。自分の考えで行動できるのは良かったと思います。
日本では総理大臣であっても、ものごとを変えることは非常に難しいです。それは、ものを変えにくい仕組み、制度になっているからです。それに対して地方は、予算権と人事権を持つ首長が直接選挙で選ばれます。大統領制に近いですよね。だから地方はやろうと思えば変えることができます。福岡でロールモデルを作っていくことが、日本を最速で良くする方法だと、時がたてばたつほど確信が深まっています。
今の福岡市役所は「最強の組織」
――とはいえ、アナウンサーからの市長。当初は市の職員からの抵抗もあったのではないでしょうか。
高島市長:職員は生え抜きで、60歳まで在籍しますよね。職員からすれば、私は4年間の任期付き職員のようなものです。そうすると「別にこの人の言うことを聞かなくてもいい」と思いますよね。
私自身も、放送局の平社員から、突然社長のような存在になりました。当初は自分がプレイヤーとしてどれだけのパフォーマンスを出せるかを考えて、プレイヤーの感覚で口出しをしていたので、現場の皆さんとの溝がなかなか埋まらない状況が何年も続きました。
――その状況は、いつ頃から変わってきたのでしょうか。
高島市長:就任当初は36歳。まだまだ若造で、どうせ4年間の腰かけだと思われていたのが、選挙で再選することによって、福岡市長としてやっていく私の覚悟が伝わったのではないでしょうか。それと、5年が過ぎた頃から、人事によるマネジメントを本気で考え始めました。攻めが得意な人は攻めの分野に、守りが得意な人は守りの分野に配置する。あるいは、攻めの人と守りの人をうまく組み合わせる。こうして、少しずつ職員の皆さんも変わってきたように思います。
今では私のやり方や考え方も、職員の皆さんには十分に理解していただいています。それと、10年間人事が変わっていないのは私だけです。そのため、職員よりも私のほうが詳しくなっていることも多々あります。私自身が成長し、職員のフォーメーションもできて、内部での意思疎通も円滑に行えているので、今の福岡市役所は最強の組織になっていると思いますよ。
デジタルは全ての世代に利便をもたらす
――デジタル化を進めるにあたって、高齢者などからは「デジタルは使いにくい」といった声もあると思います。どのようにフォローしているのでしょうか。
高島市長:それは2つの角度から考えています。ひとつは、移行期ですので、デジタルとアナログを両方準備しておく必要があるということです。デジタルネイティブの世代が大人になるまでは、タイムラグが生じるのは当然です。
もうひとつは、この議論は、「デジタル対アナログ」の話に見えますが、私はそうは思っていません。ユーザーインタフェース(UI)の問題だと思っています。例えば、高齢者向けのスマートフォンと、通常のスマホは何が違うのでしょうか。
違うのは、通常のスマホはアイコンがたくさんある一方、高齢者向けのスマホには「電話をかける」「写真を撮る」などのよく使うアイコンしかない点です。大きな文字、少ない選択肢という見た目の違いであり、中身はどちらもスマートフォンで変わりはないのです。
だから私は、デジタルは高齢者であろうが子どもであろうが、デザインの力をうまく活用すれば、全ての世代にとって利便をもたらすものだと思っています。使いやすくするために、UIデザインが大切になるのです。
――デジタル化を進めるにあたっては、特別な組織を作っているのでしょうか。
高島市長:2020年11月に、デジタル化を推進する組織「DX戦略課」を新設しました。UIデザインのコンセプトを全ての部署が理解して作り上げていくのは非常に大変な作業です。部署単位で個別にデジタル化を進めるのではなく、「DX戦略課」が横串を刺し、UIを意識したデジタル化を進めていきます。
――「福岡でロールモデルを作り日本を変える」といわれていましたが、どうすれば全国の行政、自治体にデジタル化を広げることができると考えていますか。
高島市長:新たに生まれているサービスやビジネス、テクノロジーは、現在ある法律や規制ができた時には想定されていなかったものです。だから既存の仕組みでは対応できません。対応できないときに行政はどうするかと言うと、他都市の状況を見ます。よく議会の答弁で「他都市の状況を見ながら研究してまいります」と言いますよね。
他都市に例がなければ動かなくていられますが、事例があった場合にはやらざるを得ません。「福岡市はできているのに、なぜうちの市はできないのか」という話になって、これが一番のプレッシャーになるからです。
私はやはり日本を良くしたいと思っています。福岡市が先頭を走って実践することが、他の自治体にとって何よりの刺激になるはずです。そうすることで、日本を最速で変えていければいいなと考えています。