著者:エリック・シュミット[著]、ジョナサン・ローゼンバーグ[著]、アラン・イーグル[著]、櫻井 祐子[訳]
出版社:ダイヤモンド社
出版年月日:2019/11/14

そうそうたるIT企業の経営者をコーチング

本書では、「ビル・キャンベル」という名の極めて特異なコーチが紹介されている。ビル・キャンベル(本名:ウィリアム・ヴィンセント・キャンベル・ジュニア)は、フットボールの選手・コーチを経て40歳代でビジネス界に転身、シリコンバレーの多くの企業を成功に導き、2016年4月に75歳で亡くなった伝説的な人物だ。日本では無名だが、米国ではほとんど全ての経営者が彼のことを知っているという。

本書の著者は、エリック・シュミット (元グーグル会長兼CEO)、ジョナサン・ローゼンバーグ (元グーグル上級副社長)、アラン・イーグル (グーグル エグゼクティブ・コミュニケーション&セールス・プログラム責任者) の3人だ。

グーグルに関することを書いた本と思われるかもしれないが、内容はグーグルだけでなく、アップルやインテュイット、アマゾン、フェイスブック、ツイッター、ユーチューブ、コダックなど、そうそうたるIT企業を網羅している。

これらの企業の経営者をコーチングしていたのがビル・キャンベルだ。特にグーグルとアップルには深く関わっている。グーグルは創業から世界的企業になるまで、アップルではスティーブ・ジョブズの片腕となって、一時の倒産の危機的状況を立て直すのに力を発揮した。両社とも一時、時価総額が1兆ドルを超えたが、ビル・キャンベルのコーチは1兆ドル、いやそれ以上の価値があるというのが本書のタイトルに込められた意味だ。

エピソードから抽出したキャンベルの教え

本書は、ビル・キャンベルが、あの時どうしたというエピソードを集めた構成になっている。同時に、そこからコーチングの意味と価値を経営学的に抽出し、解説している。

本書のエピソードから抽出できる彼の教えをまとめると、次のとおりとなる。

  1. どんな会社の成功を支えるのも人だ。マネジャーにとって最も大事なのは、部下が仕事で実力を発揮し、成長し発展できるように手を貸すこと。
  2. マネジャーの仕事は、全ての意見を吸い上げ、全見解を検討するための意思決定プロセスを実行し、必要な場合には自ら議論に決着をつけて決定を下すことである。
  3. すべきことを指示するな。語りかけ、自力で最適解にたどりつけるよう導け。
  4. “チームファースト”に徹する。そして、チームはコミュニティでなければならない。仕事でも仕事以外でもコミュニティをつくることが大切である。人々が絆(きずな)で結ばれるとき、チームはずっと強くなれる。
  5. 同僚同士の関係は重要なわりに見過ごされがちなので、チーム内でペアをつくってプロジェクトや決定に取り組ませる機会を設けろ。
  6. 人々の間の小さなすきまを見つける。耳を傾け、目をこらし、理解やコミュニケーションのギャップを埋めよ。
  7. 常に第1原理に立ち返る。その状況における第1原理、すなわち会社やプロダクトを支えている普遍の真理を明らかにし、その原理を基に決定を下せ。
  8. プロダクトが全てに優先する。会社の存在意義は、プロダクトのビジョンに命を吹き込むことだ。それ以外のすべての部門はプロダクトのためにある。
  9. 去る者に敬意を払え。解雇は会社の失敗であって、解雇される側は悪くない。
  10. 信頼が重要。心理的安全性が潜在能力を引き出す。心理的安全性が高いチームになるべき。そしてその出発点となるのが信頼だ。
  11. フリーフォームで話を聞く。相手に全神経を集中させ、じっくり耳を傾け、相手が言いそうなことを先回りして考えず、質問を通して問題の核心に迫れ。
  12. ビジネスに愛を持ち込む。人を大切にするには、人に関心を持たなくてはならない。プライベートな生活について尋ね、家族を理解し、大変なときには駆けつけよ。

影響力の大きさを知る

本書は、コーチングやマネジャー、チームリーダーのノウハウを系統立てて解説した書籍ではない。あくまでもビル・キャンベルにまつわるエピソードを集めたものだ。そのエピソード自体読み物として面白いのはもちろんだが、それだけでなく、そこでビル・キャンベルが言ったこと、行動したことを学術的に意味づけていることに価値がある。

また、本書から読み取れる上記12の教えを見ると、グーグルをはじめとするシリコンバレーの成長企業・有力企業が、組織のマネジメント、あるいはチームづくりの方針として掲げているものとかなり近いことがわかる。そこからも、ビル・キャンベルが、シリコンバレーの経営者たちに与えた影響の大きさを推し量ることができる。

実際、グーグルでは、ビル・キャンベルが示した原則をリーダーシップ研修の土台にしているという。また、ユーチューブのスーザン・ウォジスキCEOは、厳しい決断に迫られたときには、常にビル・キャンベルのことを考え、フェイスブックのシェリル・サンドバーグCOOも、誰かにアドバイスを求められたときには、いつもビル・キャンベルのことを思い、その存在に少しでも近づけるよう努力しているとしている。この影響力の大きさは、経営学者で、マネジメント論の始祖とされるドラッガー(ピーター・ドラッガー)をも彷彿とさせる。

もっとも、上述した12のノウハウのほぼ全ては、今日では特に目新しさはなく、チームを機能させるうえでは、当たり前のことと思えるような教えも多い。また、上記の12のように、「ビジネスに愛が必要」「家族ぐるみのつきあい(が必要)」など、日本企業がかつて当然のことのように実践してきた教えも含まれている。とはいえ、それらを完璧なかたちでコーチングできたのは、ビル・キャンベルだけであり、そこに彼の偉大さがあったと言えそうである。

先入観を捨て真摯に学ぶことの大切さ

今日のように変化が激しい時代では、いかに優れた経営者やリーダーであっても、全ての課題を一人で解決するのは不可能であり、チームでことに当たることが必要不可欠とされている。また、今日の市場では、フットボールを含む、さまざまなチームスポーツの試合と同じように、上層部がゲームの前にかなり緻密な作戦を立てたとしても、それだけで勝ちを収めることはできず、ともに戦うチームメイトが、互いに協力しながら、想定外の事象や事象の変化に臨機応変に対応していくことが重要とされている。またそうしたチームの強さは、リーダーを含むチーム内での相互信頼と絆(きずな)によってかたちづくられるとされている。

チームやチームワーク、あるいは人を中心に据えたこうした考え方は、シリコンバレーの企業の間ではすでに常識化しているが、日本企業の場合は、必ずしもそうとは言い切れない。例えば、日本の企業では、従業員を家族のように大切にすることや、現場でのチームワークの良さが強みとされてきたものの、終身雇用制の崩壊とともに、そうした強みが薄れていき、人材難が深刻化したいまになって、“従業員満足度”の向上がしきりと唱えられようになったという状況にある。しかも、日本の場合、“現場力”が競争力の源泉とされてきたにもかかわらず、上意下達の文化の中で、現場への権限移譲が行われず、市場の変化に現場が臨機応変に対応することを難しくしている。また、表面的には、権限移譲が行われているように見えても、失敗の責任を現場のリーダーや、失敗した当人に背負わせようとするために、現場が慎重にならざるをえない状況がいまだに散見されている。こうした失敗を許さない風土や、大勢とは異なる意見を排除しようとする傾向から、日本の組織には、組織の上下左右で何でも、包み隠さず言い合える心理的安全性が確保されている組織が少ないとも指摘されている。このような日本の企業と、米国(シリコンバレー)企業との差が生まれてしまった要因の一つとして、ビル・キャンベルのような存在が日本にいなかったことがあるのかもしれない。

また、そうした意味で、ビル・キャンベルの存在や教えが、日本でほとんど知られていなかったこと自体にも、問題があるように思える。

日本企業が世界で大躍進を遂げていたかつて、欧米では日本企業の研究がさかんに行われ、日本の企業組織の強みを、自国の企業に取り込むためのITも生まれた。それに対して、グーグルやアップル、アマゾンなど、シリコンバレーの企業が猛烈な勢いで成長し、時価総額で日本の名だたる企業を追い越し始めたにもかかわらず、日本におけるこうした新興企業の研究は、経営トップや創業者、あるいはビジネスモデルの分析にとどまり、成長を支える組織力、あるいは現場力がなぜ生まれているかまでは深く知ろうとしてこなかったように思える。

その背景には、シリコンバレーの新興企業よりも、日本の企業のほうが、組織のマネジメント力は上であるという先入観や、シリコンバレーのIT企業の成功は、一握りの天才が想起したアイデアやビジネスモデルが時流に乗ったことによるもので、組織として研究する価値はあまりないといった考えがどこかにあったのではないだろうか。それゆえに、ビル・キャンベルという存在に気づくこともなく、GAFAに代表されるシリコンバレーの躍進企業の成功は、『一人の大天才が、情報化の時流に乗ってビジネスを成功させ、その成功によって有能な人材をかき集めたことによるもの』といったレベルの認識で済ませていたように感じられる。

ただし、現実には、シリコンバレーの企業は、ビル・キャンベルのような優れたコーチのノウハウを取り入れながら、組織力・チーム力の向上に努め、成長・発展の土台を築いていた。それにより早く気づき、取り入れるべきところを取り入れるようにすれば、日本の企業のチームマネジメントのあり方は、いまとは違うものになっていたかもしれない。そう考えれば、モノゴトに対する先入観はいったん捨て去り、世界の中で躍進を続ける企業が、なぜ、躍進を続けているかの理由をさまざまな角度から探求することは重要であると言える。その意味で、本書からシリコンバレーの成功者たちが、ビル・キャンベルのどのような教えやコーチングに魅了されたのか、また、なぜ魅了されたのかを突き詰めていくことは、リーダーとしてチームを率いていくうえでの糧になるに違いない。