「アクティブ・ラーニング実践の手引き~各教科等で取り組む『主体的・協働的な学び』」
著者 :田中博之
出版社 :教育開発研究所
出版年月日:2016/3/22
「主体的な学び」の教科書
本書は、教育の世界で一つのキーワードになっている「アクティブラーニング」を、学校教育の中で、どう実現していけばいいかを示した指南書である。
アクティブラーニングは、2020年から順次施行される日本の新たな「学習指導要領」でも重要なテーマの一つとされている。言葉の意味は、文字どおり「アクティブ(自主的、あるいは主体的)な学び」ということ。教師が問題の「答え」や「説き方」を片方向で教える従来型の教育法ではなく、生徒たちが、互いに協力しながら、自分たちなりの答えや、アウトプットを出していく、あるいは探究していく学びを指している。当然のことながら、「学び」の主体は教師ではなく生徒に置かれ、探究のための道具として、「図書館(ライブラリ)」が学びの中心にある。今日では、このライブラリとして「インターネット」が使われるのが通常で、インターネットへのアクセス機能を持ったタブレットが教材として用いられている。アクティブラーニングの確立を目指した教育が、「ICT教育」、ないしは「教育ICT」と称されることがあるのは、そこに理由がある。
試験でいい点を取るための学習ではない
アクティブラーニングの目的の一つは、「画一的な正解が存在しない課題を解く能力」を高めることにある。
実を言えば、日本人はこの「正解のない問題を解く」のが苦手と、よく言われる。理由は、小中高の学校教育の中で、「一つの正解」がある問題を解くための訓練──言い換えれば、試験でいい点数を取るための勉強ばかりをさせられてきたからだという。その結果、自ら課題をみつけて、自分なりの答えを出す能力があまり発達せずに大人になり、社会人になってから苦労させられるケースが多いようなのである。
確かに、現実社会には、決められた答えのある課題はないに等しく、一時は正解に見えても、のちに間違っていることに気づかされ、そのまたのちにやっぱり正解だったと思えるような事柄ばかりである。このような現実社会を生き抜いていくうえでは、決まった答えのある問題を正しく解ける能力よりも、正解がなくても、課題を発見して、解決が図れる問題発見・解決型の能力のほうが必要とされる。そうした能力を小中校の教育の中で育み、社会に貢献できる人材を養っていくことがアクティブラーニングの目指すところであるという。
参考書として実践法をわかりやすく解説
日本の教育現場にとっては、アクティブラーニングは新しい試みだ。そのため、タブレットをポンと渡されて、「さあ、アクティブラーニングを実践してください」と言われても、戸惑うのが当たり前である。本書は、そうして戸惑う教師たちに向けて、アクティブラーニングの「学習理論」から「授業の作り方」、「実践事例」、さらには学校全体でアクティブラーニングを成功させるためのポイントに至るまでを丁寧に説いている。
本書によれば、アクティブラーニングでは、「習得」「活用」「探究」という3つの学習プロセスから成るという。つまり、学んだことを、どう応用して課題解決に役立てていくかを学び、のちの探究学習によって考え方や創造性を広げていくというわけである。
探究学習では、21世紀の社会的なテーマを主として扱いながら、子どもたちの「汎用的な能力」を養っていくことが基本であるという。この学習では、「調査(Research)」「計画(Plan)」「実施(Do)」「評価(Check)「改善(Action)」といった「R-PDCA」サイクルを回しながら、活動を積み上げていく。これは、ほぼ実社会でプロジェクトを回していくのと同じ手法で、このノウハウを子どもころから会得しておけば、会社でのプロジェクトも、しっかりと回せるようになるかもしれない。
考えるための言葉
本書は基本的に教師向けの参考書であり、一般の企業人が読んでも、参考になる部分はそう多くない。ただし、社員の問題解決能力を高めようとするならば、本書に書かれている内容は、社員の教育用に使える部分があるかもしれない。
例えば、本書では、アクティブラーニングを推進するうえで、小学校の生徒たちの話し合いや発表時に「使わせたい言葉(文型)」が紹介されている。その中で、話し合いを深めるための説明の順序立てや考えの根拠の示し方、理由を聞く場合の聞き方、さらには、自分の考えと比べさせるときの言い方などが紹介されている。これらは、そのまま企業でのミーティングを効率的に済ませるための方法として使えそうである。
学校教育におけるアクティブラーニングはこれからが本番で、日本のすべての教育現場に定着するまでには相応の時間が必要なように思える。とはいえ、2020年以降、日本のほぼすべての小中学校で、アクティブラーニングの試みがスタートすることは確かだ。それがしっかりと定着し、日本人は、課題を発見する力に欠ける、正解を創造する力に欠ける、といったイメージが払拭されていくことを強く望みたい。