「アジャイル」の手法によって、どのような変革のうねりが日本で巻き起ころうとしているのか──。このテーマのもと、日本企業へのアジャイルの浸透・定着に取り組む3人のリーダーがアトラシアンのプライベートイベント「Atlassian TEAM TOUR Tokyo」(会期:2021年12月15日)でパネルディスカッションを行った。そのエッセンスを紹介する。

【パネリスト】
KDDI株式会社
執行役員
サービス企画開発本部長
藤井 彰人 氏

【パネリスト】
株式会社LIXIL
常務役員 Digital部門
システム開発運用統括部リーダー
岩﨑 磨 氏

【モデレーター】
株式会社永和システムマネジメント
代表取締役社長
平鍋 健児 氏

日本で急速な広がりを見せるアジャイル

今回のパネルディスカッションに参加したのは、KDDIの執行役員で法人向けクラウドサービスの企画開発を統括する藤井彰人氏と、LIXIL の常務役員Digital部門の岩﨑 磨氏、そして、ソフトウェア開発やアジャイル導入のコンサルテーションなどを手掛ける秀和システムマネジメント代表取締役社長の平鍋健児氏だ。

3氏はいずれもITのエンジアとしてキャリアを積み、現職に就いた人たちだ。立場の違いこそあれ、ともに日本企業へのアジャイルの浸透に力を注いでいる。今回のディスカッションでは、3氏のうち藤井氏と岩﨑氏がパネリストとして参加し、平鍋氏がモデレーターを務めた。その平鍋氏はディスカッションの冒頭、アジャイルの現状について次のように話す。

「ここ数年来、アジャイルの手法が日本で急速に普及し始めています。それは、ソフトウェア開発の領域に限った話ではありません。意思決定のプロセスやチームの働き方、あるいは、複数チームによる協働などをアジャイルによって変革しようとする試みがいたるところで始まっています。とりわけ大手企業の間ではアジャイルを取り入れようとする動きが活発です」

こうした現状を踏まえながら、ディスカッションではKDDIとLIXILという2つの大手企業におけるアジャイルの取り組みと成果、そして課題を、藤井氏と岩﨑氏に聞く形式で進められた。以下、その内容を一問一答の形式でレポートする。

アジャイルの始動:KDDIが目指したこと

平鍋氏(以下、敬称略):早速、KDDIとLIXILにおけるアジャイルの取り組みについて確認していきたいと思います。
まずは、KDDIの藤井さんにお伺いしたいのですが、KDDIでは2013年という、日本の大手企業としてはかなり早い時期からアジャイルに取り組まれてきました。その狙いはやはりソフトウェア開発のプロセス改革にあったのでしょうか。

KDDI・藤井氏(以下、敬称略):おっしゃるとおりです。私は2013年にKDDIに入社し、法人向けクラウドサービスの企画開発を担当することになったのですが、KDDIにおける当時の開発チームはウォーターフォール型でプロダクトを開発していました。その状況に不安を感じ、アジャイルの採用を急いだのがことの始まりです。

平鍋:「不安」ですか?

KDDI・藤井:要するに、競争と変化の激しいクラウドサービスをウォーターフォールで開発していて「大丈夫なのか?」「それで競争に勝てるのか?」と感じたということです。

平鍋:そこでアジャイルを取り入れ始めたと。

KDDI・藤井:そうなのですが、いきなり全プロダクトの開発手法をアジャイルに切り替えることにも危うさを感じました。そこで、開発チームの中から1つのチームを選び、その開発手法を強制的にアジャイルにシフトさせました。そこから、KDDIにおけるアジャイル開発が始まったわけです。以降、アジャイルの横展開を図りながら、2016年にはアジャイル開発センターを発足させました。のちにはデザインシンキングを取り入れてUI/UX開発の強化を図り、平鍋さんの会社とScrum Inc. Japanを共同で設立したりもしています。そうした取り組みを積み重ねた結果として、アジャイルはKDDIの開発チームに広く浸透していき、2021年末の時点で30以上のチームがアジャイル手法を採用し、アジャイル開発を実践しているエンジニアの数も数百名に及んでいます。

平鍋:2013年の時点で、すべての開発チームの手法を一挙にアジャイルに切り替えることは考えなかったのですか。

KDDI・藤井:当時から、ソフトウェア開発のエンジニアは大多数がアジャイルのことを知っていましたし、彼らの多くがアジャイル開発に挑戦したいと願っていたと思います。ですので、私が思い切れば、アジャイルへの移行を一挙に推し進めることも不可能ではなかったかもしれません。加えて私は、KDDIに入社する以前、外資系のIT企業に長くいたのでアジャイルへの移行が正しい道筋であることも分かっていましたし、海外のIT企業の間ではプロダクトの企画開発をアジャイルで行うのがすでに当たり前でした。ただし、当時の私にはウォーターフォール開発に慣れた日本の組織が、アジャイルを受け入れ、消化できるとの確信が持てませんでした。実のところ、1つのチームをアジャイルに移行させるだけでも不安でならなかったほどです。ゆえに、小さく初めて横展開を図る道を選択したわけです。

アジャイルの始動:LIXILが目指したもの

平鍋:次にLIXILのケースを岩﨑さんにお聞きしたいのですが。LIXILでは新型コロナウイルス感染症が流行する直前にアジャイルの取り組みを始動させたと記憶しています。また、その主眼は、ビジネスと開発を一体化することにあったとお聞きしました。アジャイルの導入で具体的にどのような変革を目指されたのですか。

LIXIL・岩﨑氏(以下、敬称略):ご存じのようにLIXILは大手の製造企業で、日本における多くの大手メーカーと同じように、事業ごとの縦割り型の組織構造を成しています。しかも、LIXILの場合、M&Aの繰り返しによって業容を拡大させてきた経緯もあり、統合された主要5社(トステム、INAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリア)の分業によって全体が支えられ、各社固有の組織文化も完全にマージされないまま残されていたりもします。そのため、本質的には同じ仕事であっても、事業部ごとにやり方が異なっていたり、分業体制の中でそれぞれの業務のサイロ化が進んでいたりしていました。

結果として、システム開発の現場と事業部との距離が遠くなり、事業部の意図が開発の現場にうまく伝わらず、事業部のニーズとは異なるシステム開発が進められ、リリース直前になってそのギャップが明らかになって関係者が途方に暮れるといったことが間々起きていました。アジャイルの取り組みは、事業部とシステム開発を一体化させ、そうした問題を解決する一手として始めました。

平鍋:アジャイルの採用はすんなりと決まったのでしょうか。

LIXIL・岩﨑:すぐには決まりませんでした。アジャイル採用の経緯を話すと、当社では攻めと守りのIT施策をともに強化すべく、2018年にIT部門(現Digital部門)の組織改革を行い、全体を「SoE(System of Engagement)」と「SoR(System of Record)」、そしてITインフラをそれぞれ担当する3つのチームに分けました。その際、私を含めて外部の人材を積極的に雇用したのですが、それによってDigital部門に新たに加わった人間たちは皆、アジャイルが優れた手法であることを知っていて、その手法を採用すればLIXILのシステム開発がより良い方向へと進むとの考えを持っていました。そうした人間たちが中心となってアジャイルへの挑戦をDigital部門全体に呼びかけたわけです。

ただし、システム開発の現場がそれを手放しで受け入れたわけではなく、アジャイル導入の是非を巡っては1年ほどの時間をかけて議論・検討を重ねました。それを通じて出された結論が、藤井さんが至った結論と同じく、スモールスタートでアジャイルの取り組みをスタートさせるということでした。

平鍋:具体的にどういったシステムの開発からアジャイルへの移行を試みたのですか。

LIXIL・岩﨑:LIXIL製品の販売代理店向けシステムなど、エンドユーザー、ないしは顧客の顔が見えやすいフロントエンド系のシステムです。LIXILはB2B2Cのビジネスを手がける企業ですので、最終顧客である消費者の体験を常に意識しながら事業を展開しています。アジャイルを推進するにあたり、システム開発においても、そうした顧客体験に対するこだわりを強く持ったモノづくりのプロセスを確立すべきと考え、フロントエンドシステムをアジャイル適用の最初のターゲットに設定しました。

平鍋:その試みの成果についてお聞きしたいのですが。

LIXIL・岩﨑:成果の1つは、テスト的にアジャイルを始めたチームの間で「アジャイルの手法を使えば自分たちが課題と感じてきた状況を改革、改善できる」との理解が進んだことです。またもう1つ、開発のチームが、システムのステークホルダーを開発に巻き込んでいくアジャイルの手法を学び、その実践によって顧客ニーズと開発とのブレが回避できること、結果として開発チームと顧客の双方が幸せになれることを体験できた意義も大きいと感じています。実際、そうしたアジャイルの効果がシステム開発の組織全体に早いペースで広がり、いまでは数十のスクラムチームがDigital部門内に組織されています。

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