「日本の教育は危機的な状況にあり、大きな転換を迫られています」──。こう語るのは、教育ジャーナリストで大学コンサルタントの後藤健夫氏だ。日本の教育にどのような転換が必要とされているのか。それはなぜなのか。後藤氏へのインタビュー内容を、前・後編の2回に分けてお届けする。

後藤健夫氏
教育ジャーナリスト
大学コンサルタント
プロデューサー
Pearson Japan高等教育部門 顧問
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<プロフィール> 後藤健夫(ごとう たけお) 大学卒業後、河合塾に入社。のちに大学コンサルタントとして独立し、有名大学のAO入試の開発、 入試分析・設計、情報センター設立にかかわり、早稲田大学法科大学院設立に参画。元・東京工科大学広報課長・入試課長。『セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた「知の理論」』(ピアソンジャパン)を企画・構成・編集。『大学ジャーナル』の編集委員も務める。
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教育を国際レベルへ

編集部:まずお聞きしたいのは、日本の小中高等学校の教育についてです。
2020年から文部科学省が定めた新たな学習指導要領が順次施行されますが、この指導要領には国際的な教育プログラム「国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)」(*1)の要素が組み込まれていると言われます。IBは、世界的には有名なプログラムですが、日本人にはあまり馴染みのないものです。ですから、そもそも、なぜIB的な教育が必要なのかと不思議にも感じます。これは本当に必要な変化なのでしょうか。

<注釈>
*1 国際バカロレア:国際バカロレア機構(本部ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラム。1968年にジュネーブで設置された。現在、認定校に対する共通カリキュラムの作成や、世界共通の国際バカロレア試験、国際バカロレア資格の授与など実施している。

後藤氏(以下、敬称略):必要だと断言できますね。

編集部:理由はどの辺りにあるのでしょうか。

後藤:最大の理由は、AI(人工知能)の進化です。この進化によって、決められた一つの答えを、決められたルールの下で出す能力は、あまり重要ではなくなっています。そのようなことは、AIにやらせた方が圧倒的に速く、正確だからです。ところが、これまでの日本の教育は、ともすれば試験ための学びとなり、特に正しい一つの答えを出す処理の能力を高めることに力点を置かれがちでした。こうした正解が唯一に決まる問題ばかりを解いてきたため、正解主義に陥りやすくなります。あらかじめ唯一の正解があることが想定されていることなど社会や生活の中ではありません。正解を求めていても本当の解決には向かないのです。そのようなことを続けていては、これからの時代で活躍できるような人材は育てられません。

編集部:なるほど、AIの進化が、IBの必要性につながっていると。

後藤:そうです。また今日では、少子高齢化、環境問題、不安定な国際情勢など、社会的な課題が山のように積まれています。これらの社会課題は、解決のための“正解”が一つではなく、いくつも選択肢があります。そんな時代を生き抜いていくには、あらかじめ決められた正解を出す力ではなく、答えのない中で最善の答えを導き出す能力がどうしても必要です。その力を身に付けるための教育プログラムの一つがIBというわけです。

編集部:唯一の正解のない中で最善解を導き出す力を、IBはどのように育むのですか。

後藤:IBは「世界最高水準の教育」を目指して設計されたプログラムで、学習者の主体的で本質をつかみ取る思考力を磨くことに重きを置いています。その目的の下、教える側ではなく、学ぶ側に教育の中心軸を置き、学習者が主体的に、そしてクリティカルに学ぶことを基本にしています。そうした主体的で能動的な学びが、未知の問題に挑み、唯一の正解のない中で最善解を見つけるという、これからの時代に適した能力を育んでいくわけです。

編集部:IBが生まれたのは50年前。その当時はAIはなかったと思いますが、それでもIBが世界的な教育プログラムへと普及・発展した理由はどこにあるのでしょうか。

後藤:一つは、IBが世界平和の構築を究極のゴールとしているからです。これは、ヨーロッパにおける2度の大戦の苦い経験から生まれたものですが、世界平和の構築には、人種や言語、宗教が異なる相手が異なる考えを持っていることを認める、つまり違いを違いとして認めることが大切なのです。それを理念として掲げてきたからこそ、IBが各国からの支持を集めたと言えます。

生きていく意味を見つける

編集部:能動的な学びが必要とされるということは、これまでの日本の教育が受け身の学びだったということですね。

後藤:おっしゃるとおりです。これまでの日本の教育は、まさに受け身の学びで、言われたことを黙々と着実に処理できる人を育てる教育でした。かつての高度経済成長期には、それでよかったと言えますが、AI時代のこれからは、言われたことを黙々と処理するだけの人材の価値はどんどん下がっていきます。いまや工場でロボットが活躍する時代です。また、受け身の教育を受けてきたマニュアル人間や指示待ち族な人たちは、AI社会の中で働き場を失うおそれもあります。

編集部:それはどういうことですか。

後藤:AIやロボットが人の代わりに働くようになれば、働き場のない人に「ベーシックインカム」が支給されるようになる可能性があります。そうなったら、多くの人が働かなくなりますよね。そのとき、やりがいや生きがいを自分で見出せないと、生きる意味を見失いかねません。つまり、これからのAIの時代は、人が生きる意味を問われる時代なのです。ですから、主体的に学ぶ力や、やりがいや生きがいを見つる力を養うことが大切なわけです。

編集部:今日のAIにできないことの一つとして、自身では課題が見つけられないという点がよく指摘されます。IB的アプローチを採用する効果は、AIができないこと──つまりは、自ら課題を見出す能力を育むこととも言えそうですね。

後藤:そうです。以前から、問題発見・解決能力の重要性は指摘されてきましたが、かつての手法は、仮説を立てて、問題を切り分け、解決するというアプローチでした。これはプログラミングにおける「バグ取り」的なアプローチでした。しかし、今、必要とされている問題発見・解決能力は異なります。

編集部:どの辺りが異なるのでしょうか。

後藤:異なる考えや意見を調整して納得解を見いだすことが求められている点です。そのときに「批判的思考力」が必要とされます。要するに、あらゆる角度から物事を多面的にとらえて本質を見いだすために検証的にとらえることです。例えば、朝起きてズボンをはいたら、ベルトの穴が1つ縮んでいたとします。通常なら、「痩せた」と考えますが、それは一方向的な思考です。批判的な思考では、痩せたのではなく「ベルトが伸びたのかもしれない」と考え、検証するわけです。さらには、知識そのものさえも批判的に捉えて検証することが必要なのです。そのことでお互いの考えの違いを違いと認め合えるようになり、それぞれの異なった常識をすり合わせて納得解を見いだせるのです。

編集部:そうした思考力を身に付けるには、どうすればいいのですか。

後藤:そのためには思考の訓練が必要です。日本の教育はこれまで、明示的に思考力を磨く訓練をしてきませんでした。実際、ダボス会議に出席した私の知り合いは、日本人が会議で精彩を欠くのは英語力ではなく思考力の問題だと言っています。その問題を解決するためにも、未知の問題に挑み、違いを違いと認めて違いを理解したり知識さえも批判的に捉えて考えたりするIB的なアプローチを、教育に取り入れることが大切なのです。

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